2020.02.06
私たちは、何のために生きるのか?
生きている意味とは、何なのか?
80年、90年、100年。いつまで生きるのか分からない。
私たちは、いつまで生きているんだろう。
本当は、もっと早く死ぬかもしれない。病気、事故、自殺。
何が起きるのか分からない中で、「死」という恐怖と隣り合わせで生きている。
みんな、毎日楽しそうだ。私以外の人がキラキラして見える。自分だけいつも、輝けていない気がする。
そんな私も、周りから見たらきらめいているのだろうか?周りから見たら、少しは輝いているのかな?
何のために生きるのか、もうよく分からない。
頑張りたいこともないし、やりたいこともない。そんな人生を、後どのくらい続けていけばいいのかな?
自分が生きている意味は、自分には分からない。
産んでくれた両親のため?それとも自分のため?誰かのために生きているのか、自分のために生きているのか。
自分でもよく分からない。
いつだって、自分が生きている意味を教えてくれる人はいない。
自分の心が分からないんだ。何のために必死になっているのか、分からないんだ。
いつか死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれないと思いながら、夢を追いかけるのは疲れてしまった。
頑張り続けていても、明日事故にあうかもしれない。
そんなことを思いながら、何に本気になればいい?
自分が生きている意味を知りたい。人生は暇つぶしなの?
命って何?人生って何?私って何?
私たちは、ふとした時に「生きる意味がわからない」「生きる意味がない」と感じてしまう。
それには、大きな理由があるのだろうか?
そこでここからは、生きてる意味がないと感じてしまう主な理由について大きく分けて5つご紹介します。
自分がなぜ、今「生きてる意味を見失っているのか」見つめ直してみましょう。
私たちは、自分の人生の中で楽しいと感じることや幸せを感じることがない時に、生きてる意味がないと感じてしまいます。
「毎日好きな仕事をして、好きな友達に会って、愛する人と一緒にいることができて、家族に愛されている人は、人生を楽しいと感じてるんだろうな」なんて思いながら、「それに比べて私は…」と悲観的になってしまうことも…。
好きだと感じるものや、好きだと感じる人、守りたいものがない時、人は生きてる意味がないと感じてしまいます。
好きだと感じることと、楽しいと感じること、幸せと感じることの感情の感覚は似ています。それぞれ、ポジティブな感情です。
その感情を持つことができなかったり、自分にとって愛情を注げるものが目の前にないと、生きてる意味がないと感じてしまうことがあるのです。
自分が誰にも必要とされていないと感じてしまうと、生きてる意味がないと感じてしまいます。
人は、誰かに必要とされることで、強く生きていこうと思うことができるのです。
毎日毎日誰にも必要とされずに生きていくことはとても辛いこと…。
例えば、仕事で自分が休んだ日に代わりに誰かがすべてやっておいてくれると、感謝の気持ちとともに「私っていなくてもいいんだ」と思ってしまうことがあります。
他にも、家族に必要とされていないと感じてしまったり、恋人に浮気されてしまった時など、自分が誰かに大切にされていない時や、必要とされていない時は、何のために生きてるのか分からなくなってしまうことがあるのです。
将来に絶望感しかなく、毎日不安で自分が無力だと感じてしまうと、自分には生きてる意味がないと感じることがあります。
自分の人生には、他の人みたいに明るい未来が見えなかったり、夢もなく、お金もない現実を見てしまうと、何のために生きているのか分からなくなってしまうことも…。
全てに疲れてしまった時は、少し休息を取るようにしましょう。
特に大きな理由があったわけでもないけれど、生きてる意味が分からなくなることも少なくありません。
淡々と過ぎていく日々の中で、幸せを感じることもないけれど、特に死にたいと思うほど苦しいことがあるわけでもない。
でも、ただ不安で不安で仕方なくなって、生きてる意味を見失ってしまうことがあるのです。
人は時に、何のために生きるのか分からなくなってしまう生き物なのです。人は、常に不安を抱えながら生きてしまうものなのです。
自分が生きてる意味がないと感じた時や、生きてる意味がわからないと感じた時は、自分が生きてる理由を再確認してみましょう。
自分にとって、生きるとは何か。どういうことなのか。
向き合ってみることで、少しだけ希望が見えてくることもあります。そこでここからは、生きるとは何かについてお話ししていきます。
人生を通して、喜びを感じることは、生きていてよかったと感じられる瞬間の一つになります。
人は幸せになるために生きています。生きるとは、幸せになることです。
人それぞれ、生きている理由も、誰のために生きているかも、違います。
ですが、「不幸になりたい」と思いながら生きている人は少ないでしょう。人は、幸せになるために頑張っているのです。
人は、幸せを手に入れるために生きています。
「お金が欲しい」と思うのは、楽しいことや幸せを感じるために思うのです。たくさんお金があれば、自由に使うことができます。自分のために時間を使うこともできるようになります。
「恋人が欲しい」「結婚したい」と思うのは、安心感や幸せを感じるために思うのです。恋人や結婚相手がいることで、自分に居場所ができたり、心の拠り所ができ、愛する人と一緒にいることで幸せを感じることができます。
このように、人は全ての欲求に対して、「幸せになりたい」という気持ちが奥底に眠っているのです。
生きるとは、辛く悲しいことを乗り越えることでもあります。
人生は、幸せなことよりも、辛いことや悲しいことの方が多いかもしれません。
苦しいことの後には必ず幸せなことがあるなんて言われても、信じることができないほど辛いことが起きることもあります。
人は生きている中で、理不尽だと思う出来事にも出会い、胸が締め付けられるような出来事にも出会うことがあるのです。その現実を乗り越えることも、生きることの一つなのです。
生きてる意味がないと感じてしまう時は、周りに人がいないことも多くあります。
他人との関わりの中で、生まれた小さな摩擦は、自分の心に大きな影響を与えることがあるのです。
生活とは、人と人とが繋がり合い、支え合うことで成り立っています。その中で、他人との関わりを絶ってしまったり、外の世界と一線置いてしまうと、生きている意味がないと感じてしまうのです。
ですが、他人との関わりの中で、新たな自分を発見したり、新たな出会いで一喜一憂することで心が豊かになります。
生きるとは、人と関わり合うことでもあるのです。
与えられた命を精一杯生き抜くことも、生きる意味になります。
どうしても生きてる意味が見出せない時や、生きる意味がないと感じてしまって、虚無感に襲われた時は、「とりあえず死ぬ理由もないから生きるか」「与えられた命だし、死んだら人殺しと一緒かもしれないな」と思うことで、乗り切ることもできます。
これは、一つの経験談ですが、必ずしも「ポジティブな気持ちを持って生きていかなきゃいけない」と思うと、余計に辛くなってしまうのです。
なので、「とりあえず生きておく」でもいいいのです。
誰だって、何のために生きてるのかわからないのです。
誰かが、「幸せになるために生きている」なんて言ってもしっくりこないかもしれない。
誰かが、「与えられた命を全うするために生きている」なんて言ってもしっくりこないかもしれない。
何のために生きるのかは、自分自身にしか分からないし、自分が一番分からないものなのです。
他人に何と言われようとも、自分の中で出した答えが全てなのです。
何のために生きるのか。生きてる意味がわからなくなる感覚を覚えることができる人は、数少ない人です。
毎日楽しく生きていたら、「生きてる意味がわからない」と感じることもありません。
ですが、そう感じることができたあなたは、今後同じように悩んだ人を救うことができるかもしれません。
人よりも多く悩んで考えてきた人生だからこそ、重く価値があるものになっているのです。
生きてる意味はわからない。それでもいい。ゆっくり人生の中で探していこう。
自分が生きている意味と、人が何のために生きるのか。生きていく中で少しずつ答えが見つかったらいい。
死ぬ直前に、「あぁ私の人生このために生きてたんだな」「私は幸せだったな」「これで満足だな」と思えるように、今この一瞬一瞬を大切に生きていきましょう。
死にたいと思った時は、人に頼るようにしましょう。
頼れる人がいない時、居場所がないと感じた時は、私たちを頼ってください。
ここにあなたと同じように悩んできた人たちが集う居場所があるから。みんなが味方してくれるから。
※この記事は、悩んでいる方に寄り添いたいという想いや、筆者の体験に基づいた内容で、法的な正確さを保証するものではありません。サイトの情報に基づいて行動する場合は、カウンセラー・医師等とご相談の上、ご自身の判断・責任で行うようにしましょう。
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