2020.02.04
パートナーと夕飯を食べながら、Netflixで配信されている『マリッジ・ストーリー』を観た。
ざっくり説明すると、スカーレット・ヨハンソン演じる妻とアダム・ドライバー演じる夫との離婚劇。本当にこれだけのお話。実にシンプル。
しかし、実際に観てみると、Netflixオリジナル作品というだけあって、シナリオや演出…何よりも前途した俳優二人の演技が鬼気迫るものだった。
流石「今年のアカデミー賞にノミネートされている作品というだけあるな」という印象。
作中で離婚調停中の夫婦が話し合いと称した罵倒し合いをするシーンがあり、一緒にそれを観ていたパートナーはきっと私と同じことを考えているのだろうと思った。
私と彼は、決して相性がいい訳ではない。
このシーンのような罵倒し合いに発展する喧嘩を何度したかなんて思い出せないし、そういった激しい喧嘩をきっかけに少しの間とはいえ私が実家へ帰っていた時期もあるほどだ。
交際を始めてから早二年以上、とても順風満帆で幸せに満ち足りていたとは到底言い難い。むしろ、嫌な思い出のほうがすぐに思い浮かべられてしまう。
果たして、これは健全な交際関係と言えるのだろうか。私には分からない。
彼もまた似たようなことを思っていたようで、「俺たちもこの夫婦みたいに思われているのかな」と軽口を叩く。
「確かにそうだね。端から見れば意味不明だし」とこちらもまた軽口で返した。
一人の男性だけと長期間交際した経験どころか、血縁者ではない男性との同居も彼との生活が初体験。
生まれた地方も違ければ、親の職業も全く異なるし、育った環境の共通点なんてほぼ無いに等しい。
そんな相手との共同生活が始めから上手くいったとすれば、それはもう前世からのご縁や運命の可能性を見出してしまっても仕方が無いだろう。
けれど、現実はおとぎ話なんかではない。
自分とはまるで違う人生を歩んできた人との生活は、いくら恋人という間柄であったとしても、すべてを許せるわけではない。
逆に恋人だからこそ…一番距離の近い他人だからこそ、相手に過度の期待を寄せ、勝手に落胆し、不安や不満が積もっていくのだ。積もりに積もれば、やがてはそれらに圧し潰されてしまう。
その結果が“別れ”なのだ。
私も彼も、数えきれないほどそれらに圧し潰されそうになってきた。そのたびに泣き、叫び、互いを非難し、傷つけ、そして抱き合った。それはもう、きつく、とてもきつく。抱き合った。
周りは言う。「それは依存だよ」「互いに執着しているだけ」「ただの共依存」。
否定が出来なければ、自分でもそう感じている節がある。彼の頭の中は覗き込めないけれど、きっと大なり小なりそう感じているには違いない。
そんなチグハグで脆くて、継ぎ接ぎだらけで、弱い。でも、強く生きたい私たち。
罵倒し合いが終わり、涙と共に抱き合う夫婦と同じく抱き合い、輪郭の曖昧な明日を祈る。
マドカ・ジャスミン
※この記事は、悩んでいる方に寄り添いたいという想いや、筆者の体験に基づいた内容で、法的な正確さを保証するものではありません。サイトの情報に基づいて行動する場合は、カウンセラー・医師等とご相談の上、ご自身の判断・責任で行うようにしましょう。
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