2020.01.01
生きることに真剣だった。必死で頑張って、必死で生き続けてきた。
でも、もう私の人生、詰んでしまったみたい。
もうこれ以上頑張って生きるなんて無理なんだよ。
「生きることは素晴らしい」っていう綺麗ごと、聞きたくないよ。
だって私にとって「生きることは苦しむこと」だから。
死にたくなったらどうすればいい?
死にたいと思ったら私はもう終了ですか?
生きる力が湧き出てこない。環境がことごとく、私の生きる力を奪い取る。
死ぬことを望んでいるんじゃない。生きることができないから、生きることが辛くてたまらないから、もう人生を諦めたいと思ってしまうだけ。
生きるのが辛い。死にたくなったら、死にたいと思ったら、やっぱり死ぬしかないの?
「死にたい」と思った時、自分という存在価値が否定されたり、見いだせない状況にいます。
自分らしく生きられないから、自分という存在が認められないから、辛くてたまらないのです。
死にたくなったら、そこには何かしらの原因が隠れているはず。まずは、人が「死にたい」と思う原因を見ていきましょう。
「死にたい」という願望には「自分という存在を肯定してほしい」という必死な叫びが隠れています。死にたくなったらまず、自分が何を望んでいるのか、冷静に心の声を受け止めて。
人を本気で好きになると、「自分のアイデンティティ」を恋愛で叶えるようになります。
恋愛が上手く行っている時は「存在価値が肯定されている」という感覚に。
上手く行かないと「全否定された」という感覚に襲われるのです。
大失恋をすると「生きる意味を失った」ように感じるのはこれが原因。結婚を考えていた相手となれば、心の傷はさらに大きなものに…。
大失恋で死にたくなったら、「アイデンティティの確立」を求めているということです。
人は人生の大半の時間を職場で過ごします。
日常のほとんどを占める職場環境で、自分という存在を脅かされると、生きる意味を見失うように…。
パワハラやセクハラといった行為も論外ですが、「モラハラ」で悩む人は数多くいます。そして、モラハラしている本人は無自覚であることがほとんど。
モラハラの場合、「不快な思いをさせる言動」や「嫌味」といった、罰則を設けにくいグレーゾーンの関わりが多く、エスカレートして追い詰められる傾向にあるのです。
学校も生活の大半を過ごす場所。なおかつ、逃げ場が少なく関わる人数も限られるため、死にたくなったら、第三者の適切な介入が得られていない可能性があります。
また、思春期や青春期は心が発達途上の段階。
この時期の学校内でのいじめは「永遠に続くような感覚」さえ受けます。
いじめはいじめる側が悪いです。どんな理由があっても、「いじめ」という行為を肯定してはいけません。
死にたくなったら助けを求め、ダメなら逃げる。いじめで人生を犠牲にする必要はありません。
精神疾患になると、生きるという当たり前が苦痛に感じてしまうこともあります。
生きたいのに上手く生きられない。幸せになりたいのになれない。人間関係に恵まれたいのに人が遠ざかる。必死で生きているのに結果が伴わなくて、心をすり減らすように…。
精神は「生きている」という感覚に直結する分野でもあることから、「生きること」そのものが揺らいでしまいます。死にたくなったら、本当は「生きたい」と思っているのです。
人間はコミュニティを作ることによって、自分自身を確立する生き物です。人間関係がこじれてしまうと、自分の存在価値を否定されたような気分に…。
ところが、人間は同時に、突出した能力のある人を否定する心理もあります。
コミュニティに属することが「自分らしく生きること」とイコールにならない人もいるのです。
死にたくなったら、「人間関係が全てかどうか」と見つめなおすのもアリ。人間関係は大切ですが、自分が変化し続ける限り、永遠に同じ人間関係が続くとはいえません。
「家庭」という存在は、自分の人間性を作る基盤になります。安心感のある家庭では、力強く生きる力がみなぎるもの。ところが、家庭がうまくいかない状況下では、何も手につかない状況に…。
家族との関わりは、お互いの精神が複雑に絡まり合っているため、一概に判断ができません。だからこそ、人に相談することが難しいという悩みを抱えるように。
ですが、死にたくなったら心は既に限界です。
「家族だから」という概念を越えて、自分を優先する選択も求められます。
「生きること」と「死ぬこと」の境目を彷徨い続ける過程では、何とか自分の意志を保っています。
ですが、一度「死ぬこと」へ足を踏み入れると、たちまち心が崩れてしまう…。
死にたくなったらどうする?
死にたくなったら、生きることなんてできるの?
そんな漠然とした疑問が心を占拠するように。死にたくなったら、世界の様子が一気に変わります。
色がなくなり、視界が狭まり、人の温かみが消え、自分の身体が自分でなくなるような感覚。「充実した毎日」とは程遠い世界が、永遠と続いていくように見える。
でも、そこで死んでしまえば、本当に辛い人生だけで終わってしまいます。
この世界に完全な平等はありません。時に運命は残酷。
でも、苦しむためだけに生まれた人なんて、一人もいません。
死にたいと思ったら、本当に自殺するしか選択肢が無いのか?
死にたくなったら、もう生きる方法は一つも無いのか?
死にたくなった時、頭の中に「自殺」が過った時、思い出してほしいことがあります。
「死にたい」という感情が心を染め上げると、人生の出口が見えなくなるもの。今とは違う解決方法が隠れていることも…。その先には、一度死を決意した人だからこそ経験する世界があります。
ここからは、死にたくなったら自殺する前に思い出してほしいことのご紹介です。
身体的・精神的な暴力やネグレクトを受けたり、ストレスが身体に出ると、ケガや体調不良で追い詰められることも。身体の傷や不調は、心までも蝕むようになります。
こうした環境下では、自分を守ってくれる存在が無かったり、助けてくれる第三者の介入が無いことが多いです。
あなたの身体はあなたにしか守れません。
「死にたくなったら自殺する」という選択は、自分の身体に最後のとどめを刺してしまいます。
自分を優先してがむしゃらに逃げ出す選択ができるのは、あなただけです。
死にたくなったら「苦痛が永遠に続く」ように見えます。「幸せな未来」なんて都合の良い綺麗ごとに聞こえるもの。
ですが、人生はいつか光が射します。
苦痛を経験して乗り越えた人は、誰よりも光に近づくのです。
いじめている人たちに、光が射す未来は訪れません。暴力をふるう人に、モラハラで他人の心をかき回す人に、幸せな人生は訪れません。
生きることに真剣な人は、「幸せとは何なのか」を誰よりも考え、気付くことができます。
本当は円満に過ごしたい。本当は解決したい。でもこの問題を乗り越える術がない。
だからこそ、「死ぬこと」で人生を終了させたいと思ってしまう。
このように考える人は、他人を優先して、辛抱強く物事に取り組む真面目な人柄。でも、「死にたくなるほどに我慢」したらもう充分頑張った証拠。
死にたくなったら逃げていいです。逃げは諦めや負けではない。
死ぬほどに過酷な問題は、本来あなた一人が背負うべきではありません。
死にたくなったら、長い時間軸で物事を見ることも大切。ただし、命の危険がある状況では、すぐにでも逃げる必要があります。
時間とともに物事は変わります。自分自身も、人の心も常に変わる。どんなに頑張っても解決しなかった問題が、時間とともに解決することもあるのです。
将来解決できる問題で死んでしまうのは、あなたの命の価値に見合った決断とはいえません。
死にたくなったら、嘘だと思ってもいいので、「あと半年生きよう」「あと1年生きよう」と考えてみましょう。
死にたくなったら、自分1人の力で問題を背負いきれないサイン。頼れる誰かに相談してみましょう。
でも、「そもそも誰も頼れない」「助けてくれる人がいない」「人間不信」ということもあるはず。死にたくなったら、相談できる機関を頼ることも大切。
自殺したい人向けの電話サービス、いじめの相談先、DV・暴力から守ってくれる機関があり、生きるためのサポートを徹底的に行ってくれます。
たった1人でも味方になってくれる人がいると、生きる理由が生まれるから、思い切って頼ってみてください。
過酷な状況下で死にたくなったら、生きる意味をどんどん失い、「全て失った」と感じることも。
確かに失うことは本当に怖いし辛い。
ですが、全てを失っても、再び手に入れることができます。
手放さないと新しいものは手に入りません。もし今「苦痛」を掴んでいるなら、一度手放して逃げることで、「幸せ」を掴み取れるようになります。
全て失ったのなら、死にたくなったら、後は新しい「生きる意味」を手に入れ続けるだけです。自分の意志で選択した人生を歩んでみましょう。
死にたくなったら、死にたいと思ったら、自殺を考えるのは少し待ってほしいです。
「死ぬしかない」という考えに至るのは「自分一人の力で解決ができない」から。
問題を真剣に捉える責任感のある人ほど、死にたくなるほどに追い込まれてしまいます。
こうした人は忍耐強いからこそ、大きく成長する可能性を秘めている。でも、運命や環境が味方してくれなかった時、どこまでも心を疲弊させてることに…。
死にたくなったら、少しだけ自分を甘やかしてみましょう。逃げずに真摯に向き合ったあなたは、充分に頑張りを重ねてきた。
死にたくなったら、奥底に眠る「生きたい」という願望に従ってみましょう。自分らしさを抑え込んで生きることに、縛られる必要はありません。
死にたくなったらどうすればいいのか。死にたいと思ったらどう考えればいいのか。
今思うと、「生きる方法を教えてくれる人」がいなかった気がする。
私には私の生き方がある。
「こうやって生きないと」と思っていた理想像は、そもそも私の人生ではなかったんだ。
一方的に傷つける人と仲良くなれなくたって、私自身が否定されることはない。
思うようにいかない人生だからって、私自身の存在価値が無くなることはない。
死にたくなったら、一度深呼吸をして落ち着こう。
生きることは簡単ではないけど、一度大きな選択をするだけで、どこまでも未来は変えられる。
傷ついた人は優しくなれるし、挫折を知っている人は他人の失敗に寛容になれる。
死にたくなったら、そこから無限に人生が変わっていくんだ。
※この記事は、悩んでいる方に寄り添いたいという想いや、筆者の体験に基づいた内容で、法的な正確さを保証するものではありません。サイトの情報に基づいて行動する場合は、カウンセラー・医師等とご相談の上、ご自身の判断・責任で行うようにしましょう。
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