2019.10.25

生きる理由が分からない。私たちはただ、人生に生きる理由がほしいんだ。

生きる理由が分からない

私はなんで生きているの?生きる理由が分からない。

「夢を持てばそれに向かって歩めばいいんだよ」

そんなことを言われたけれど、生きる理由になるような夢がそう簡単に見つかるとでも思ってるの?

「死んだら何にもできないんだよ」

そういうけれど、それなら生きていたからといって何ができるの?

「死にたいくらいに不幸なことがあったの?」

違う、そうじゃない、線路に身を投げたいほどに不幸なことがあったわけじゃない。

ただ生きるための理由が見つからないんだ。

私がこの世界で、立って、歩いて、呼吸をし続ける意味が分からないんだ。

数学の公式みたいに、たった一つの明確な、生きる理由がないと不安で不安で仕方がないんだ。

私が生きる理由を、生きていてもいいんだと安心する正解の理由を教えてほしい。

 

誰か教えて。人生に意味なんてあるの?

私の人生には一体意味なんてあるの?

人生に戸惑い、迷ったことがある人なら心の中に描いたことがあるであろう疑問。

自分はこんなに頑張っているのに報われない。生きて、この空間にいるだけでこんなに辛い。自分がここで立ち続けていることによって、良い成果が得られるんだろうか?この行動が何も生み出せないのなら、生きている意味なんてどこにあるんだろう?

何事にも迷いなく、障害もなく進んできたような人間はいないはず。そう分かってはいても自分の人生に疑問を抱いた時、自分だけがこんなにも生きる理由が分からないんじゃないだろうか、と思ってしまう人もいるでしょう。

みんなはきちんと前を向いて歩いているのに、どうして自分はこんなに悩んで迷っているんだろう。人生に明確な生きる理由があれば、迷う必要なんてないのにと、必死に考え、生きる理由を求めてしまう。その辛さに苦しんでいる人もいるのではないでしょうか。

 

生きるとは?真剣に考える6つの場面

生きる理由を探しているとなれば、何か生きる理由が分からないとなったきっかけがあるはず。

心に衝撃を受けたりほころびが生まれたりした時に、人は自分が生きる理由について真剣に考えます。

何故自分はこの世界に生まれたのか?何故自分は今も必死で生きているのか?そんな「生きるとは?」という疑問について真剣に考えるきっかけになる場面は一体、どんな時なのでしょうか。

1.何か大きな失敗をした

今までの人生をまるまる変えてしまうような大きなミスをした時、人は人生の岐路に立たされます。

仕事で大きな取引を失敗してしまい地方に異動させられた。あるいは、結婚を約束していた彼氏や彼女のことを深く傷つけてしまい、婚約を破棄されてしまった。

そんな自分を見失うような大きな失敗をした時に、落ち込み、悩み、自分が今生きる理由が分からない、と人生そのものに迷うのです。

2.大切な家族を失った

親、兄弟、あるいはペットなど、共に多くの時間を過ごしてきた大切な家族を失った時に、心に大きな傷を受けるのが人間です。

その大切な人の存在が心の中を占めていればいるほど、心に穴が空き、空虚な気持ちに襲われます。

なんでこんなに大好きだった人が死んでしまったんだろう。何故もっと生きていてくれなかったんだろう。私の寿命を分けてあげられればよかった。と、嘆き、悔やんで、大切な家族は死んでしまったのに、何故自分は生きているんだろうと疑問に思うのです。

その疑問に思った瞬間、生きる理由を見失い、迷うことになります。

3.人生に喜びを見いだせない

ぎゅうぎゅうの満員電車、会社のつまらない仕事、疲れ切って家に帰ったら寝るだけ…

そんな毎日に疲れ果てた人は、時に人生の喜びを見失い、どうして自分は生きているんだろうと、生きる意味さえ分からなくなります。

会社に行っている日だけそのような気分になるならまだしも、休日も仕事の疲れがどっと押し寄せて、寝ているだけで終わってしまうとなると、ますます生きる理由が見出せなくなりネガティブが押し寄せてしまうのです。

4.病気と闘っている

健康体ではなく、何かしらの病気と闘っている時、人は時に心まで弱くなってしまいます。

命に関わるような重い病気ではなくても、心の病気であったり、いつもは健康という人でも風邪をひいた時に急に心細くなってしまったりする時もあるでしょう。

そして、その戦いが長く続くほど、悩みもまた続き、大きくなっていきます。

こんなに苦しいのに、頑張って生きる意味なんてあるんだろうか?もういっそのこと楽になれたどうれほどいいか…

などと考えて、生きる理由を見失ってしまうのです。

5.他人から全否定された

人は生きている限り、なんらかの形で他人と関わって生きています。家族や友達、恋人はもちろん、会社の同僚や趣味で通っているスクールの先生など、その関わり方は様々です。

関わっている以上、会話ゼロで過ごすというのは難しいもの。会話の中で相手の心ない言葉で自分のことを全否定されてしまうと、少なからず心は傷つきます。そしてそれは心を許していた人であればあるほど、深い傷となり、生きる意味を問う理由に繋がります。

6.休む暇がないほど忙しい

毎日食事をする時間すら取れない、睡眠時間も短くて、しかも寝付いても仕事が気になってすぐに目が覚めてしまう…

ひと休みをする暇もないほど忙しい時、人の心はすり減ります。忙殺という言葉の通り、自らを殺しているのです。

忙しさに溢れる毎日の中で、果たして生きる楽しさが見出せるでしょうか?仕事が楽しいという人はいいと思うかもしれません。しかし、それであっても、労働していることには変わりなく、心は少しずつ疲れているもの。

そうしていつのまにか薄く磨り減った心で、生きる理由すら分からないと心は叫ぶのです。

 

 

 

「生きてる意味がほしい」自分にできる6つの行動

生きる理由が分からない、そしてそれにいつまでも答えが出ないことに対して、人は苦しみ、解決を求めます。

しかし、生きてる意味はふと道端に転がっているようなものではなく、自ら考えて得るものだとやがて気づくはず。

生きる理由が分からない、だから生きてる意味が欲しいと、叫び、求めるあなたが生きる理由を見つけるためにできる行動について紹介していきます。

1.喜びを感じることを増やす

人にはさまざまな感情があります。嘆きや悲しみ、苦しみなどのマイナスの感情もあれば、楽しさや嬉しさ、喜びなどのプラスの感情もあります。

生きる意味を見つけるのにはこのプラスの感情である、喜びを増やしてみることから始めましょう。

友達と話すこと、好きな場所に出かけること、美味しいものを食べること…たとえ小さなものであろうとも、積もっていく喜びはやがてあなたの心に蓄積されていきます。

心を覗いた時に喜びでいっぱいだったら、明確に生きる理由が見つからなくても、それだけでこの世界で生きていく理由になると思いませんか?

2.誰かに必要としてもらう

生きる理由が分からない人の中には、自分は誰にも必要とされていない、世界でひとりぼっちだ、と感じている人もいます。

誰かに自分を求めてもらいたい、自分を認めてもらいたい

いつもさまよっているのです。

誰でもなく自分自身を必要としてくれる人に出会えればその悩みは払拭され、その人のために生きることがあなたの生きる理由にもなるでしょう。

ただし、その人がまるごとあなたの人生を引き受けてくれるわけではありません。誰かから必要とされる中で、誰かに必要とされなくても生きていける自分、を確立していくのが最終的な目標になります。

3.自分がやりたいこと全てに挑戦する

やりたいことを心の中に秘めたまま、行動に移せずにいませんか?

やりたいことはあるけれど、きっと自分にはできないだろう。今から新しいことにチャレンジするなんて遅すぎないだろうか。と悩み、もやもやした気持ちを抱えたまま、生きてはいないでしょうか。

やりたいことに挑戦するというのは、それだけで自分の価値が上がるものです。新しいことに挑戦するのは勇気が必要なこと、しかし、それに挑戦した、その事実だけで、今までの自分から一歩進んだという自信になるのです。

4.失敗は成長だと思ってめげない

失敗を恥ずかしいと思う人は多いもの。成功だけに価値があると思い込み、失敗はいけないことと恥じ、隠そうとします。

しかし、失敗は悪いことばかりではありません。確かにその失敗により恥ずかしい思いをしたり、落ち込んだりするでしょう。しかし、歴代の偉人たちも失敗を重ねたからこそ大きな成功を生み出せたのです。成功に位置する生きる理由を見つけるために、失敗を重ねていくのは成長の過程で必要なことなのです。

5.大切な人を見つける

あなたには今、大切な人はいるでしょうか。

誰よりも一番にその人のことを考えて、決して泣かせたくないと思う人が頭に浮かばなかったとしたら、そんな人を見つけるのも生きる理由の一つになります。

自分が死んでしまったら、大切な人はとても悲しむはず。大切な人の涙を見たいと思う人がいるでしょうか。自分の中に生きる理由が見つからなければ、誰かのために生きることを生きる理由にしてもいいのです。

6.一度、休む

へとへとに疲れている時、心が折れてしまった時、そんな時にすぐにポジティブな感情を抱くのは難しいものです。

もしも、心身ともに疲れ切ってしまい、立ち上がれないという時は、全てを投げだして一度休むことも大切です。

休息は身体を健康に戻すだけではなく、心の中も穏やかにします。切羽詰まった気持ちでは、生きる理由をがむしゃらに探しても見つかりません。気持ちを休めれば視界もクリアになり、あんなに求めても見つからなかった生きる理由がすぐに見つかるかもしれません。

 

 

結局、みんな生きる理由がほしいんだ

生きる理由が分からない、生きる理由がほしいということを自分だけが思っているのではないか、と苦悩する人もいるはず。そんな気持ちを抱いていると、周りの人がきらきらと輝いて生きているように見えて、さらに悩み、苦しみに囚われてしまいます。

しかし、コンビニやスーパーに生きる理由が売られていないように、きちんとした生きる理由を手にすることは実はとても難しいもの

なんの悩みもなさそうに生きている人も、毎日元気で楽しそうな人であっても、心の中には悩みを秘めて生きる理由を欲しがっているのかもしれません。

そんな風に考えれば、心も軽くなるはず。私たちは生きる理由を求める悩みの渦の中で、それでも毎日立って歩いて生きている。

そのこと自体、偉くて、素晴らしくて、褒められることだと思いませんか?

 

死にたいんじゃなくて、生きる意味がほしい

生と死は表裏一体です。人はいつかは死に、だからこそ今は生きています。死んでしまったものが二度と生き返ることがないように、生きている人もまた、死んではいないという事実があるのです。

自分の死を一度想像してみてください。手首を切ること、電車に飛び込むこと、オーバードーズをすること…あらゆる死を考えて、怖いと思ったら、死にたくないと思ったら、それだけでいい。

生きる意味を見つけることは、難関大学の試験よりも難しいものです。なぜなら生きる理由という問題には、答案用紙に書けるような明確な答えがないから。人から差し出された答えでは納得できず、自分で見つけ出すしかないからです。

「死にたくない」というのは、とても簡単な感情だと思うかもしれません。そんな軽いものでは不安になる。そう思うかもしれません。

しかし、生と死が裏表である限り、死にたくないは「生きていたい」です。その感情だけで、生きる意味に値する。そうは思いませんか?

 

meino
meino
好きなものを好きだと言い続けたい、永遠のサブカル女子。

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