2019.10.05

幸せとは何か|私たちは幸せになることができる。唯一の幸せになる方法。

ぼんちゃ

ぼんちゃ

私も幸せになる。あなたも幸せになろう。

幸福至上主義社会。

誰もが幸せを願っている。

幸せになりたいと願う人が、幸せになる方法を求めてインターネットの中に答えを求めている。

これを書いている私だって、幸せになりたい側の人間の一人だ。

幸せになりたいと何度も願った。

普通の幸せが欲しいと望んだ。

せっかくの人生、どうして幸せになれないの?と自分を憎んだ。

多くの人が願うこと。それが、「幸せになりたい」。

幸せは良いもの。

不幸は悪いもの。

幸福至上主義的な、この世界。

「幸せ」に関する悲しい事実

幸せになりたいと日々願っているうちに、私はいくつかの結論にたどり着いた。

どうやら幸せの答えはどこにもないらしい。

私を幸せにしてくれる人が、その辺に簡単に転がっているわけではないらしい。

幸せを決めるのは、自分らしい。

生きていれば幸せになれる!と、なんとなくだけどそう思いながら生きていた私は、徐々に絶望していった。

なんと、このまま生きていても私は幸せになれないかもしれない。

幸福至上主義者であった私には、生きる理由を奪われたかのような事実。

それでも盲信的に「幸せになりたい」と思い続けた私は、次の問いに進んでいった。

「そもそも幸せとは何か。」

自分が追い求めている幸せは、あまりにも漠然としていて、どこにあるのかも分からない。

私がずっと手に入れたいと願っている「幸せ」とは、一体何なのでしょうか。

 

「幸せ」に対する違和感

幸せになることを願う一人間として、「幸せ」を語れないのはダサい。

そんな自分のダサさを払拭するために、幸せを探す思考の旅に出ることにした。

幸せ探しの旅を続けるうち、私は「幸せ」に対する違和感を感じるようになった。

普通の幸せってなに?

幸せを願う私が求めている幸せは、「普通の形」が良かった。「普通の幸せ」が欲しかった。

みんなが手に入れているように。

みんなと同じように。

自分だけ取り残されないように。

私にとって、人生で初めて「普通ではなくなった」と自覚した出来事は、病気によって大学を留年したことだった。

それまで大きくレールを外れることもなく、どちらかと言えばそこそこの優等生ルートを歩んできた私が、初めて経験した大きな挫折とも言える。

正直心の中はとてつもない焦りと不安でいっぱいだった。不安障害を発症していた私に、さらに畳み掛けるかのごとく不安がのしかかってきた。

その時、なぜ不安が膨らんでいったのか。それは、自分が「普通」から外れることが怖くてたまらなかったから。

私は普通の人間でしかない。特別な才能を持つ人間でもない。

だから、「普通」の中の「そこそこ凄い」が欲しかった。

にもかかわらず、私は「普通」の中にすら居られなくなってしまった。

みんなが手に入れている「普通」はもう手に入らない。

みんなと同じようなルートで幸せにはなれない。

私だけ「普通」からかけ離れていく。

だから怖かった。だから不安だった。だから不幸だった。

日を重ねるごとに、私は今まで「普通」だと思っていた幸せの道を進んでいくことはできないと感じるようになっていった。

致し方なく探し始めた「普通ではない幸せ」の形。

でも、それを模索し続けるうちに、普通じゃなかったはずの生活は、私にとっては「普通」になりかわっていた。

今の私は、思うように電車に乗れない。それが普通だ。

今の私は、思うように人と会えない。それが普通だ。

今の私は、笑っている時間と同じくらい泣いている。それが普通だ。

でも、今の私は、幸せだ。

振り返ってみると、そもそも私が「みんな」だと思っていた人が誰なのかさえよく分からない。

その「みんな」が、全員「普通の幸せ」を持っていたのかどうかも分からない。

ただ、私が勝手に「みんな」に惑わされて、自分を見失っていたのだということはよく分かる。

私たちが願ってしまう「普通の幸せ」なんてものは、どこにもない。

普通の幸せを願っているうちは、きっと幸せになれない。

幸せを願うのならば、「私の幸せ」、「私たちの幸せ」を願わなければ。

幸せじゃなきゃいけないの?

冒頭で掲げた「幸福至上主義社会」。

幸せはきっと悪いものじゃない。ずっと幸せでいられるのなら、幸せで居たい。

でも、私たちは幸せじゃなければいけないのだろうか。

どうして不幸な自分は受け入れられないのだろうか。

皮肉なことに、私たちは不幸がなければ幸せにはなれない。

なぜなら、幸せは相対的に感じることができるものだから。

「今日は天気が良くて幸せだ」と思うのは、雨の日があるから。

「今日は贅沢なご飯を食べて幸せだ」と思うのは、質素なご飯を食べる日があるから。

「今月は好きな洋服が買えて幸せだ」と思うのは、買い物を我慢した過去があるから。

幸せを願うことは悪いことじゃない。

でも幸せじゃない自分を受け入れられないことは、幸せじゃない。

たとえば、不幸に思える自分を受け入れることができなかったとしても、不幸な自分に対する感謝を持つことならできるんじゃないだろうか。

「今日は辛いことがあった。」

だからこそ、幸せな明日を願うことができる。

私たちに必要なのは、幸せであり続けようとすることではない。

幸せと不幸に気づき、双方をただ認める。ただそれだけ。

戦わずして幸せになる。

幸せに対する違和感を感じた私は、周りにいる「幸せそうな人」を見てみることにした。

私が思う「幸せそうだな」という人たちには、ある共通点がある。

自分のことが好きな人。

自分に自信がある人。

逆に言えば、私は自分が嫌いで、自分に自信がないから、不幸だと感じる瞬間が多くあった。

自分を好きで居られる人は、自己肯定感が高いらしいとよく耳にする。

でも、そんな仰仰しい話にしなくてもいいのではないか?

自分を好きで居られる人は、そもそも自分は自分だと知っているだけのことではないか。

「自分は自分だ」

・自分の得手不得手を知っている

・自分の好き嫌いを知っている

・自分が諦められること・諦めたくないことを知っている

・自分は自分以外の誰にもなれない。

・自分以外の人は自分になれない。

一見当たり前のように思えるこんなことを、根本から無意識のうちに知っている人でないと、自分を好きになることはできないのではないか。

だって自分を嫌いになるのは、自分を受け入れられないから。

だって自分を嫌いなのは、他の誰かのようになりたいと願ってしまうから。

そして、「自分は自分だ」を知っている人は、幸せになりたいと願うことも実は少ないのではないだろうか。

自分が自分であるだけで、そこにはブレることない幸せがあり続けるのだから。

自分が自分で居ることに、幸せを感じる。

きっと私たちは、その境地にたどり着くために、毎日戦っている。

自己肯定感を高めよう。

自尊心を持とう。

もっと自分と向き合おう。

今より良い状態を作っていこう。

でも、そんなに頑張らなくても大丈夫なんだ。

戦わずして、幸せになる。

それは、ありのままの自分を受け入れること。

それは、自分だけの幸せの形を見つけること。

それは、幸せじゃなくてもいいと言える勇気を持つこと。

「あなたは今、幸せですか?」

今の私にとっての幸せ。

残念ながら、私はまだ自分の人生全てが幸せだと思えるほどの境地には達していない。

幸せはそんなに簡単なものじゃなかった。

私もけっこう頑固なもので、かつての幸福至上主義的な側面がチラリと顔を見せることもある。

「普通の幸せを」なんて願ってしまう瞬間もまだある。

私の幸せを探す思考の旅は、まだ道半ば。これからも答えは変わりつづけるだろう。

でも、私はもうただ漠然と「普通の幸せ」を求めて喚いている過去の私ではない。

私にとっての幸せを実現するために、考えることができる。

私だけの幸せに出会うために、泣くことができる。

こんな毎日は、私にとって全て幸せだ。

私は今、幸せだ。

いつか胸を張ってそう言える未来がくると、信じて居られる。

「あなたの幸せ」は一体どこにある?

きっと今これを目にしているあなたは、幸せになりたいと願う人でしょう。

あなたが幸せになりたいと願うのは、どうして?

あの人が幸せそうに見えるから?

あの人よりも幸せで居たいから?

今の自分が辛くて嫌だから?

では、あなたにとっての「幸せ」とは一体何ですか?

誰と比べることもなく、あなただけにとっての幸せとは、どんな形ですか?

あなたは、その幸せの形を手に入れるために、向かいたい方向が定まっていますか?

この記事を読んでいるあなたは、もしかすると幸せになるための方法を探してここにたどり着いたのかもしれない。

でも、ここに書いてあるのはあくまで書き手である私にとっての幸せの話。

あなたにとっての幸せがここにあるとは限らない。

私がこの記事で伝えたいことは、簡単に幸せになる方法ではない。

自分で幸せを見つける方法について、だ。

私は、私にとっての幸せをこれからも探しつづける。

あなたも、あなたにとっての幸せを探してみてほしい。

だって、それが幸せになるための唯一の方法だから。

答えを見つけられるのは、あなたしか居ない。

不幸になれるのも、幸せになれるのも、あなたしか居ない。

不幸を拾わずに、幸せを拾おう。

私たちは簡単に幸せになれる。

簡単に不幸にもなれる。

それを決めるのは自分自身で。

どういうわけか、不幸な自分のままで居ると、不幸ばかりが近寄ってくる。

類は友を呼ぶ。不幸な人間の側には幸せは訪れない。

たとえば、朝起きて淹れたコーヒーが美味しかった。

たとえば、今日のメイクは少し上手にできた。

たとえば、面白い漫画に出会った。

たとえば、好きなラーメン屋さんの新メニューが美味しかった。

たとえば、外に出た途端に雨が止んだ。

たとえば、電車で可愛い赤ちゃんと目が合った。

たとえば、昨日は出来なかった仕事が今日は出来た。

たとえば、今日は不幸の中にも幸せを見つけた。

私たちの日々には、たくさんの幸せが転がっている。

どんなに小さなものであっても、幸せは幸せだ。それ以外の何ものでもない。

不幸ばかり拾うのはやめて、幸せを拾ってみよう。

きっとそれは、あなただけの幸せに向けた第一歩になる。

 

 

ぼんちゃ
ぼんちゃ
人生について思考することが大好きな20代ウーマン。 モットーは「素直に生きる」こと。 Daria Meでは、人生やメンタリティに関する記事をメインに書いています。

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