2019.09.17

「もう疲れた。死にたい。」人生疲れたと感じた時に知るべきこと9選

「生きることに、もう疲れた。」

生きることに。人生に。

もう疲れた。

いつかの私は、何も知らずに、何も考えることなく、ただ無邪気に笑っていた。

何も知らなかったから。

それがいつしか、大人になって。

知りたくもなかったこの世界のことをたくさん知った。

輝いて見えたはずのこの世界は、その輝きをいつの間にか失った。

今の私に見えるのは、まるで灰色の世界だけ。

希望?夢?未来?将来?

そんな輝きに溢れた言葉たちは、私の生きる世界からは次第に消え去っていった。

私には生きる意味も価値も、もうありません。

ただ疲れた。

「死にたい」「死のうかな」。誰に言えばいい?

疲れをまとった私の心と体は、生きることを諦めたいとすら思うようになってしまった。

ふとした瞬間に思うのです。

ああ、もう死にたいな。

突然頭から離れなくなるのです。

もう、死のうかな。死んでもいいかな。

でも私は知っている。

ここは、「死にたい」が肯定的に受け入れられる世界じゃないことを。

「死にたい」と言えば、悲しむ人がいることを。

「死のうかな」と呟けば、「そんなことはいけない」と否定されることを。

誰に相談すればいいんだろう。

この先、どうやって「生きる」を進めていけばいいのだろう。

私の「疲れた」はいつまで続くのだろう。

人生疲れたと感じる時に知るべき9つのこと

私たちには、人生疲れたと感じる瞬間があります。時には疲れが溜まりすぎて、生きていくことが難しいように感じることもあります。

その先で私たちに待っているのが、「死にたい」という感情です。

死にたい気持ちは、身近な人に伝えることも相談することも難しい場合が多く、一人で抱えてしまうことも多くあります。

もしあなたが今、「死にたいなあ」と感じているのであれば、この記事を読んでください。

あなたの「生きる」が今日も明日も続いていくためのヒントが、ここにありますように。

1.「死にたい」のはおかしいことじゃない。

「死にたい」と感じた時に、まず自分の中で戦うことがある。

それは、「死にたいなんて思っちゃいけない。」という気持ち。

私たちにとって、生きることは当たり前。

死にたいなんておかしな感情。誰にも認めてもらえることではない。

それを知っているから、死にたい感情を必死に隠そうとする。

でも、本当はそんな必要はない。

死にたいのはおかしいことじゃない。

生きていると、苦しいことも悲しいことも辛いことも、たくさん襲ってくる。

その全てに耐えられるほど、私たちは頑丈にできているわけじゃない。

時には「死にたい」と弱気になることだってある。

それはおかしなことじゃない。

2.疲れた自分を否定する必要はない。

私たちは、疲れている自分さえ否定する。

「こんなんじゃダメだ。」

「何でみんなのようにできないの?」

「自分は何て使えない人間なんだ…。」

こうやって自分を自分で否定して、余計に人生疲れたと強く感じるようになってしまうこともある。

自分を否定して、責めて、余計に苦しむのはもうやめよう。

私はもう疲れたんだ。

その事実を認めてあげよう。

3.人生疲れたと感じたら、「休もう」のサイン。

「人生疲れたな」とふとした瞬間に思う時。

私たちは、間違いなく疲れている。疲れ切っている。

身も心も本当はもうとっくに限界で、そんな中なんとか走ってここまでやってきた。

でも、ここで立ち止まって考えてみよう。

これ以上走ったら、どうなってしまう?

「疲れた」「死にたい」と叫んでいる自分の声を無視して、さらに走り続けるの?

疲れた時には、休もう。

死にたい時には、一度立ち止まろう。

休んでから、また進めばいい。

4.私たちは頑張らなくてもいい。

頑張ることは当たり前。

生きていくためには、頑張り続ける必要がある。

そう信じて生きてきた私たち。

でも、いつしか死にたいと思うほどに自分の「生きる」を見失うようになっていった。

もう一度問い直してみよう。

私たちが頑張るのは、何のため?

私たちは、頑張る必要があるの?

頑張り続けた先には、いったい何が待っている?

頑張れば、あなたは楽になれる?

実は私たちは、頑張らなくても生きていくことができる。

頑張ってもいい。でも、頑張らなくてもいいんだ。

「死のうかな」とふと考える今のあなたは、きっと少し疲れている。

そんな時には、頑張らないことも大切。

頑張ることと同じくらい、頑張らないことも大切なんだ。

これまで「頑張る」をたくさん練習してきたんだから、ちょっとは「頑張らない」も練習してみない?

5.「死にたい」は弱さじゃない。

死にたいと思う人は、弱い人なのだろうか。

私たちは、弱音は悪いものだと思って生きてきた。

「それくらいで弱音を吐くな。」

「もっと辛い人はたくさんいる。」

「自分だけが苦しいと思うな。」

こんな教えがあったから、私たちは「死にたい」と叫ぶことに強い抵抗を持つようになった。

死にたい人間は、弱い人間だと思って生きてきた。

でも、本当に弱い人には、「死にたい」と叫ぶことはできない。

悪だと思っている自分の感情を認めることはできない。

死にたい時には、堪え過ぎずに叫んでみよう。

「死にたい」はおかしいことじゃない。

ただあなたの中に浮かび上がってきた、あなたの素直な感情の一つに過ぎない。

「死にたい」を認めてあげよう。

6.不安があるから生きていける。

私たちが「死にたい」と感じる原因の一つには、不安がある。

たとえば、将来に不安を感じるから、もう生きていられないと感じる。

たとえば、これから起こる悪い出来事を想像して、不安になって、辛くなる。

不安は私たちにとって、大きな敵だ。

でも、私たちが不安を感じなくなることはない。

不安があるからこそ、私たちは生きていられる。

不安を知らなければ、ライオンの群れの中に飛び込んで、一瞬で終わり。

そうならずにここまで生きてきたのは、不安を知っているから。

大丈夫。不安を恐れ過ぎないで。

不安は時に、私たちの味方にもなってくれる。

 

 

7.生きる意味は自分で決めていい。

私たちは、人間。

他の動物とは違う。「考える」ことができる生き物

だから、生きる意味を考えてしまうこともある。

たとえそれが、自分をネガティブに動かすものだったとしても。

考えてしまうものは、考えてしまうんだ。

生きる意味なんて、本当はないのかもしれない。

生きることについて、考えない方が生きやすいのかもしれない。

でも、考えるからこそ生きる意味を探すことができるんだ。

考えるからこそ苦しいことも増えるんだ。

それがきっと、人間で。

それがきっと、私たち。

生きながら、自分だけの生きる意味を探していけばいい。

探すことに疲れたら、探さなくてもいい。

生きる意味を探さない生き方だって、自分で決めることができる。

だって私たちは、人間だから。

8.誰の言葉もプレッシャーに思う必要はない。

生きている人間は、自分だけじゃない。自分以外の人間もたくさん居る。

むしろ、自分は一人しか居ないのに、他人は数えきれないほどたくさん居る。

「自分」の人生を生きたいなんて願うくせに、良くも悪くも私たちは「他人」の影響を受ける。

自分を貫くなんてかっこいいことは到底難しいことで。

誰かの元に晒されるたびに、私たちは流されて、揺さぶられて、踊らされる。

そして他人が決めた「生きる」の上を歩こうとする

だから、私たちには誰かの言葉がプレッシャーに感じられる。

だから、私たちはいつも誰かに責められている気がしてしまう。

本当はそんな必要ないんだ。

自分の人生にとって「その他大勢」でしかない誰かの言葉までまっすぐに受け止めようとしたら、死にたい気持ちは加速するばかり。

自分は自分の生きたい道を進もう。

9.泣きたいだけ、泣こう。

死にたいと思っていると同時に、泣いてはいけないと自分を制御しようとする気持ち。

だって、泣くのは弱虫でしょ?

違う。

泣くのは強く生きるために、進むために、私たちに必要なこと。

泣いちゃいけないって、誰が決めた?

流れてくる本物の涙を止めなきゃいけない理由は、どこにある?

死にたいと苦しくなっている時。

涙がでるのなら、泣きたいだけ泣こう。

【関連記事】
https://dariame.jp/2019/05/31/post-12965/

死にたい時こそ、生きるんだ。

もう疲れた。死にたい。

この気持ちに私たちが支配されている時、私たちは本当に死にたいわけではないのかもしれない。

本当は、ただ生きたくないだけなのかもしれない。

そんなことを考える余裕さえ失ってしまうほどに、苦しいのかもしれない。

そう。

私たちには、死にたい理由なんて分からないんだ。

それと同じように、生きる理由も分からないんだ。

だから苦しいんだ。

でも、だから生きる。

だからこそ、生きられる。

今この世界に自分が居る意味は、自分にしか決められない。

自分の「生きる」を、まだ何も分からない今終わらせるわけにはいかない。

あと一歩進んだ先には、何が待っているだろう。

あと少し景色が広がった時、私には何が見えるのだろう。

「死にたい」は、「生きたい」に変えていこう。

私の人生は、私のものだから。

「死にたい」なんて、何度願ったか数えきれない。

「死のうかな」なんて、何度脳裏をよぎったか分からない。

でも、私は生きている。

私は、死にたいと願うほどに、生きたいと願っているから。

私の人生が私のものになることを願っているから。

今は少しパワー不足かもしれない。

そんな時には休めばいい。休んで、また少ししてから歩き出せばいい。

誰のものでもない私の人生を進めるのは、私しか居ない。

私は、この人生と共に歩いてみる。

私が進めるんだ。私が決めるんだ。私が作るんだ。

あなたも、あなたの人生と共に、歩いてみない?

 

 

ぼんちゃ
ぼんちゃ
人生について思考することが大好きな20代ウーマン。 モットーは「素直に生きる」こと。 Daria Meでは、人生やメンタリティに関する記事をメインに書いています。

コメントを書く

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

DariaMeをフォローする