2019.07.29
死にたくはないんです。
でも、もう生きていたくないんです。
生きてるのが辛いんです。
人生が辛いんです。疲れたんです。
こんな心の声は、一体どこにぶつければいいのでしょうか。
こうして悩んでいるのは、私だけ?いいえ、きっとみんなも辛いんでしょう?
みんなだって我慢している。
私だけが、甘えるわけにはいかない。弱音を吐くわけにはいかない。
でも、辛い…。
死にたくないのに、生きていたくない。
誰にぶつければいい?誰が受け止めてくれる?誰か私を救ってくれる?
辛い気持ちが大きくなった時。
そう思う瞬間さえある。生きていたくないから。
生きているくらいなら、死んだ方がマシ。
だったら、私は死んでしまうことさえ出来る。そう思う瞬間も、そう思えない瞬間もある。
…本当は、怖い。
本当は、死にたくない。生きることも怖い。死ぬことも怖い。
どっちに進むのも、何をするのも、怖くてたまらない。
右も左も、前も後ろも、上も下も。斜めさえも。全部が塞がれて、どこにも行けない。
死ぬ覚悟が出来て死ぬ人なんて、居るのでしょうか。
この世の人は、誰も死んだことがない。
生きることは恐ろしい。
死ぬことだって、もちろん恐ろしい。
私はただ生きていたかっただけなのに。
いつの間にか、私の「生きたい」は「生きていたくない」になっていた。
生きていたいんでしょう?
じゃあ、生きていたくないなんて、おかしいじゃない。
分かっています。おかしいですよね。
おかしいなって思っているけれど、私の心には「生きていたい」と「生きていたくない」が混在していて。その両方に苦しめられているんです。
本当は、ただ生きていたい。
それだけなんです。でも、それが叶わない。
私には、「ただ生きる」ってことが。
そんな簡単なことすらも、できない。
ただ生きたい。
どうしたら、私は生きていられるのでしょうか。
私たちは、毎日を懸命に生きています。「懸命になれていない…。」なんて自分を責める人もいるかもしれません。
生きることに懸命になっているからこそ、自分を責めてしまうこともあります。生きる価値や、生きる意味、そんなものを疑う瞬間すら出てきてしまうこともあります。
これは、「もう生きていたくない」と感じているあなたへ贈る、11の言葉です。
DariaMeはここに居ます。
あなたは生きて、ここに居ます。
「生きる」をまた一歩続けていくために、どうか最後まで読み進めてみてください。
生きていると、日々求められること。それは、頑張ること。
私たちの生活の中で、世界の中では、頑張ることが良しとされています。
たしかに頑張ることは凄いこと。努力を重ねたからこそ叶えられること・実現できることもある。
でも、私たちは頑張る必要なんてないんです。
これまで頑張りすぎて生きてきてしまったあなたに必要なのは、「頑張らないこと」を覚えること。
頑張らないことも、頑張らないことと同じくらい大切なことです。
だって、毎日ずっと張り詰めた状態で生きていたら、呼吸さえ苦しくなってしまうでしょう?
時には頑張らないこと。まずはこれを目標にしてみませんか?
苦しい時、辛い時。
無理をして「大丈夫」と言う必要はありません。
無理やり笑顔を作って、上がらない口角を引き攣らせる必要もありません。
私たちは、大丈夫じゃなくても大丈夫なんです。
みんなだって頑張っているから。
みんな辛い思いをしているから。
自分だけが甘えるわけにはいかない。
辛いと言うわけにはいかない。
そう思ってしまう瞬間もあるかもしれません。
では、「今、辛い」と感じているあなたの心は大切にしてあげなくてもいい存在なのでしょうか?
「大丈夫だよ」と取り繕って、一人で苦しむのはもうやめましょう。
辛い時には、辛いと言う。
大丈夫じゃない時には、大丈夫じゃないと言う。
自分の心に素直になる勇気だけ持ちましょう。
生きてるのが辛いと感じてしまう時、頭の中から漠然と「将来のこと」が離れない瞬間がありませんか?
周りが将来に向けて、着実に歩みを進めているのに。
自分はこの先どうなってしまうのだろう。
何がしたいのだろう。
どう進んでいけばいいのだろう。
そう思えば思うほど、「生きていたくない」という気持ちが増してしまうこともあります。
生きていれば、いつでも何らかの不安にさられてしまうものです。
不安が完全になくなってしまったら、私たちはライオンを恐れる警戒心すら失い、食べられてしまいます。
だから、不安はあって当然。
そして、漠然とした将来に縛られる必要はありません。
「過去」でも「未来」でもなく、「今」を見つめて生きてみませんか?
私たちが「生きてるのが辛い」と感じる時。
きっと私たちは、自分の人生を生きていません。
生きているのは、紛れもなく自分の人生であるはずなのに。
私たちは「誰かのための自分」を生きることに必死になってしまうのです。
死にたい気持ちや、苦しい気持ちに支配された時。
まずは、自分の感情を何よりも大切にしてあげてください。
そして、自分のための人生を生きてあげてください。
人生のレールは、人の数だけあります。
誰ひとりとして同じレールの上を走る必要もなければ、走ることもできません。
自分のレールを見つけて、作って、築いていきましょう。
生きてるのが辛い時。
生きたくもない、でも死にたくもない時。
私たちは、自分の弱さに絶望してしまう瞬間もあります。
どうしてもっと強くなれないのか。
なぜこんなことでへこたれてしまうのか。
他人と同じくらい頑張りたいのに。
もっと頑張りたいのに。
もう辛い。立ち上がれない…。
こんな気持ちに支配される時。
それは同時に、私たちが強くなっている瞬間でもあります。
自分で痛みを知って初めて、他人の痛みを知ることができます。
自分が弱いことを知って初めて、強くなりたいと感じるようになります。
弱さを知らない人間が、強さを知ることはできません。
人間は弱い存在です。誰もが弱いのです。
でも、私たちは日々考えて、感じて、変化する存在です。
人間は、弱いからこそ強くなれます。
自分の弱さを知ることは、大切なことなのです。
人生が辛い、生きてるのが辛いと感じる時。
私たちの心の中には、「自分は幸せじゃない」と思う気持ちがあります。
不幸な自分のままで生きてるのが辛いのです。
不幸な人生が辛いのです。
私たちは、ただ幸せになりたいのです。
では、その「幸せ」を決めているのは誰ですか?
あなたにとっての「幸せ」は、本当にあなたが決めた幸せですか?
自分の幸せを自分で決めることができるようになった時。
自分のすぐ近くにずっと落ちていた幸せに気づくかもしれません。
実は「これが幸せだ」と思っていた理想像は「他人にとっての幸せ」だったと気づくかもしれません。
幸せになろうと行動するのも大切なことです。
ですが、その前に少し立ち止まって、自分にとっての幸せについて考えてみてください。
「石橋を叩いて渡る」ということわざがあります。
この言葉が表すように、用心深く行動することが時に重要となることもあります。
しかし、慎重になるあまり、行動することに強い恐怖心や不安感が募ってしまっては、石橋を渡ることもなく叩き割ってしまうことにもなりかねません。
行動するのは怖いことです。
新しいことを始めるのも、これまでと違う状況に進むのも、恐怖を伴うものです。
でも、橋を渡ることがなければ、そもそも何も生まれません。
橋の先にある道の存在すら知ることもできません。
目の前にある橋を、まずは渡ってみましょう。
渡る勇気を持つことで人生は少しずつ変わっていくものです。
人生が辛いと感じている時、私たちは自分の人生なのに自分のものではないかのような感覚に陥ることがあります。
自分がまるで人生の脇役のようで、思いもよらぬ方向に話が進んでいくことに戸惑ってしまうのです。
私の人生は、私のものです。
たとえ守りたい大切な存在があったとしても。
まずは自分を大切にすることができなければ、他の存在を大切にすることはできません。
大切なのは、自分自身を人生の主人公にすることです。
生きてるのが辛いままの主人公で終わるのではなく、ハッピーエンドを飾る主人公を演じてみませんか。
生きてるのが辛いと感じる時、私たちは自分の人生を悲観してしまうものです。
そう疑う気持ちが拭いきれず、もう立ち上がろうと思う気持ちさえ失ってしまいます。
私たちが生きている限り、未来への不安が完全になくなることはありません。
不安があるからこそ、私たちは動くのです。
不安があるからこそ、私たちは信じるのです。
不安があるからこそ、私たちはその度に立ち上がるのです。
立ち上がる気力さえ失ったら、まずは少し足を休めましょう。
休んで、しっかり回復したら、また立ち上がればいいのです。
そして、その瞬間から自分の人生を自分自身の手で作っていきましょう。
きっと「生きること」は、その繰り返しをもって完成するのです。
私なんて、生きている価値もない…。
何もできない存在…。
人生が辛いと感じる時、私たちは自分自身の存在に対して否定的な感情を持ってしまいます。
そんな時は、一度立ち止まって考えてみましょう。
そもそも、私たちは生きているだけで偉いんです。「生きること」は、簡単なことではありません。
誰もが普通におこなっているように見えて、実は誰もが苦しみながらも続けていること。
それが「生きること」です。
人と比べてしまったり、過去の自分と比べてしまったり、その度に落ち込むこともあります。それが苦しみを大きくすることもあります。
でも、私たちは今日も生きています。毎日毎日、「生きる」を続けてきました。
まずは、そんな自分を褒めてあげましょう。
今日まで生きて、偉かったね。
おつかれさま。
明日も「生きる」を繋いでみよう。
そうやって少しずつ、自分だけの「生きる」を見つけていきませんか?
あなたは、生きています。
死にたい気持ち、死にたくない気持ち、生きたくない気持ち、生きたい気持ち。複雑で、変化しやすくて、自分でもよく分からない「感情」というものを抱えながら生きています。
そして、生きているのはあなただけではありません。
私も生きています。
私は、あなたの「辛い」も「苦しい」も「死にたくない」も「生きたくない」も、全てを完全に理解することはできません。
同様に、あなたには私の「辛い」も「苦しい」も「死にたくない」も「生きたくない」も、理解できるわけではないはずです。
私たちは、互いに全てを理解しあえる存在ではないんです。
それは、「他人」という存在だから当然のこと。でも、私たちは寄り添いあうことができます。
人間は一人では生きていけない。だから助け合い、支え合い、寄り添いあいながら生きていくのです。だからこそ、人間なんです。
もう少し、人間としての「生きる」を続けながら、模索してみませんか?
生きてるのが辛い時。辛いと感じる状況は人それぞれ違う。
誰かに全てを理解してもらえるわけでもない。
誰かが突然全ての苦しみから助けてくれるわけでもない。
結局、私たちは自分の人生を自分で生きていくしかないから。
でも、これだけはどんな状況でも、誰であっても、共通して言えることがある。
生きてるのが辛い時。
「辛い」と叫ぼう。
辛いと声を上げるのは、恥ずかしいことじゃない。
いけないことでもない。
自分の「辛い」と向き合うためには、まずは「辛い」を知ることが大切。
隠そうとしないで。
押し込めようとしないで。
あなたの「辛い」に気づいてあげてください。
そんな風に思ってしまうことが、私たちの「生きる」をより苦しめる。
「生きたくない」を助長することにもなる。
辛い気持ちと同じように。
「生きていたくない」を隠す必要もない。
あなたの心から湧き出る素直な感情は、あなたの大切な一部だから。
私たちは、生きている。
毎日を懸命に生きている。
歩いたり、走ったり、転んだり、躓いたり、足を引っ掻いたり、傷を作ったり。
辛い、苦しい、なんて感じていながらも、生きている。
時には「死にたい」と思うことだってある。
だって、生きることが苦しいから。
生きることが辛いから。
生きることが難しいから。
それは別に、おかしな感情ではない。
私たちは、「生きたい」も「死にたい」も感じる瞬間があっていいんだ。
「生きたい」も「死にたい」も感じながら、ただ「生きる」んだ。
これだけは、決して揺るぐことがない、私たちの道。
人に話せない悩みも、今まで居場所がないと悩んでいたことも全て、ここでなら話せる。自分が一歩を踏み出せば、世界が変わる。今辛い自分は、明日には笑えるかな?そんなあなたへ。待ってるね。
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