2019.07.19
頑張るのは、当たり前のことだった。
努力をして、成長することが大切だった。
他人から認められるために。
家族が自分を受け入れてくれるように。
好きな人に愛してもらえるように。
前を向いて生きていけるように。
そのためには、頑張ることが必要だった。
体と心を壊して、この世界に絶望した時も。
人から言われるのは「頑張ってね!」という言葉ばかりだった。
「頑張って!」という言葉には、嫌な意味はない。
応援の気持ちがこもっている、素敵な言葉。
誰かが背中を押してくれるから、前に進める時だってある。
私だって、応援したい人に「頑張って!」と言っていた。
ごく普通に。他意もなく。
そんな言葉が、私にとっては自分がいかに無価値であるかを示すものになってしまった。
「頑張って!」と言われても、私は頑張ることができない。
頑張ることを求められているのに…。
頑張れない私には、誰もついてきてはくれない。
興味を持ちつづけてはくれない。
ある日、女性の先輩が会いに来てくれた。
心が壊れた私を心配して、実家の近くまで会いに来てくれた。
やっぱり言われた言葉は、「頑張ってね。」
そうだよね。
頑張らないと。
私、頑張らないと生きてる価値なくなってしまう。
何とかして、頑張らないと。
さようならをして、そう思っていた。
でも、違った。
別れた後、すぐに先輩から連絡が来た。
「頑張れ」ってつい言ってしまって。ごめんなさい。
どうか、頑張らないでね。
きっと、初めての経験だった。
他人から「頑張らなくてもいい」と認めてもらった、初めてのこと。
先輩は、私が頑張ることを望んではいなかった。
私が頑張らないことを望んでいた。
それから私は、頑張らない練習を始めた。
「頑張る」が当たり前で生きてきたこれまで。
頑張らないことの方が、いつの間にか難しくなっていて。
頑張らないことは、怖いことだった。
自分が居なくなるような不安があった。
でも、頑張らなくても生きていられた。
頑張らない自分でも、笑顔を見せてくれる人が居た。
「頑張らない私」もこの世界には居た。
今でも、頑張らない方がいいのに、頑張ってしまう瞬間もある。
「ああ、また頑張りすぎちゃった」と反省することもある。
それでいいんだ。
全ての頑張りが悪いわけではない。
全ての頑張りは良いわけでもない。
頑張ったり、頑張らなかったり。
一生懸命走って、また休憩して。
その繰り返しが、私たちの人生を作っていく。
重くのしかかりすぎる「頑張るぞ」を、たまには肩から降ろしてあげよう。
私たちは、頑張っても頑張らなくても、大丈夫。
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