2019.07.18
何か新しいことを始めたり、自分にとっての挑戦をする時。
いつも私は、自分に期待する。
無意識のうちに期待している。
「きっとこれくらいは出来るだろうな」
「上手くやれるように頑張ろう。」
「良い結果にしよう!」
まだ物事が始まっていない時、自分の実力とかキャパシティとか限界とか、そういうもの全部無視して走りたくなってしまう。
いざ始まってみると。いざ終わってみると。
期待していたような自分の姿はどこにもなくて、裏切りを感じるのです。
「どうして思っていた通りにできないの?」
「もっと出来るはずなのに。」
「そんな甘えは許されないよ…。」
自分で決めたゴールには届かない。
そんな自分が嫌になる。
ずっとその繰り返しだった。
これまで私がしていたのは、ただの期待ではなかったのかもしれない。
それは、過信だったのだろう。
自分に自信はないと言いながら、「出来る」と自分を追い込んできた。
他人からの評価を気にしながら、「やってやる」と意気込んでいた。
それが自分にとって重くのしかかりすぎるプレッシャーになっていたことには、気付かずに。
もちろんプレッシャーがあるからこそ、頑張れることだってある。
何のプレッシャーもなければ、私たちは頑張ることも先に進もうと思う気持ちもなくしてしまうでしょう?
でも、背中に必要のない大きな期待を背負ってしまうと、動きは遅くなる。
行動しづらくなる。背中が重すぎて、何もできなくなってしまう。
自分に期待するのは良いこと。
それが過信になった途端、私たちは自分の首を自ら苦しめることとなる。
過信によって、私たちの心は骨折を引き起こすこともある。
一度折れた心が、その後どうなってしまうか想像してみて?
折れた心には治療と休養が必要。
でも、大半の場合、私たちは心の治療が終わっていないうちに、また進もうとする。
完治していないのに進むから、また簡単に折れてしまう。
折れては、治療。折れては、休養。
そのループにはまってしまうんだ。
折れた心は、何度でも簡単に折れるようになってしまう。
心の治療って、どんなこと?
何をすればまたポキポキと折れることなく歩けるようになるの?
それは、自分に対する過信から解放されること。
私たちは、誰だって自分の未来に希望を持っている。
たとえば今絶望の淵に立たされていたとしても、未来が待っていると信じているから生きていられる。
希望を持つことだって、期待をすることだって、とても素敵なことだ。
私たちにとって大切な心持ちの一つだ。
でも、過信をすれば自分からの裏切りを感じて、心はまた折れてしまう。
期待は、私たちを裏切ることもない。
期待が外れたとしても、別に今すぐ叶えなければいけないわけでもない。
この先いつか、自分の期待する姿を描けるようになることだってある。
期待は、私たちにとって、生きる希望だ。
私はもう自分に過信するのをやめる。
その代わりに、自分に期待し続けながら生きていく。
自分に対する過信から解放されて、期待だけ持って歩いていこう。
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