2019.07.16
今日もこの世界に生きている私たち。
毎日毎日、同じ星の下で生活している。
いつかの未来では、違う星にも行けるのかしら?
でもそんな日を私たちが見ることはまだない。
この星の下で生きていると、どうしたって逃れることができないものがある。
それは、時代。
「2019年」という今を生きている私たちは、「2019年」から離れることができない。
2019年で生きていくしかない。
私という人間は、2019年を生きているからこそ出来上がっている存在。
「どうして私はこの時代に生まれたのでしょうか。」
そう自分に問いかけたことは数知れない。
平成に生まれて、令和を生きている。
この時代に生まれていなければ…
こんなに苦しい思いはしなかったはずなのに。
先の見えない不安を抱えることはなかったのに。
うつ病で悩まされることはなかったのに。
成長しか見えない日本で生きられたはずなのに。
こんなはずじゃなかったのに。
時代に対する不満は溜まっていく。
「なぜ私が生まれてしまったのは、この時代だったの?」
自分が生まれた時代を恨み、生きたことのない時代に思いを馳せる。
逃げることができないと知っているから、逃げようとはしない。
でも、たまに想像してみる。
もしも、私が生まれたのがこの時代ではなかったとしたら。
私はきっと、今よりも明るい気持ちで生きていたでしょう。
私はきっと、自分をもっと大切にしていたでしょう。
私はきっと、もっと強く生きていたでしょう。
想像して、羨んで、気づく。
違う時代に生きている私は、もはや私ではないことに。
今この瞬間に生きているから、私は私なんだ。
この時代を知っているから、私が成り立っているんだ。
私は時代と共に生きているんだ。
時代とは恐ろしいもので、私たちを伸ばすものにも、脅かすものにもなる。
いつかは平成だって、令和だって、歴史の一部になる日がやって来て、「あの時代は…」と評価を下される。
その時代を生きる当事者からしてみれば、後世からの評価なんて知ったことはない。
生きるのに精一杯なんだ。
必死に時代に食らいついているんだ。
評価を下している暇なんてない。
今この瞬間を生きているから。
時代を恨んで、時代にしがみついて生きていれば、時代に殺されてしまうことにもなる。
流されて、揺られて、飲み込まれて。
気づいた時には「自分」なんて確固たる存在は居なくなってしまう。
毎日毎日願ったところで、時代が変わることはない。
でも、変えることはできる。
そして作ることもできる。
「時代」なんて一括りにまとめてしまえば、大きなものに感じる。
でも、その時代の中にあるのは、私たちが生きる一日一日でしかない。
私たちの一日が、いつか大きな歴史になる。
いつかの誰かが「時代」と呼ぶ。
私は時代に殺されない。
時代で私を生かしにいく。
この時代を生きる一人の当事者として。
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