2019.07.13

恐怖心を伴って初めて、私たちは「愛」を感じることができる。

ぼんちゃ

ぼんちゃ

本当は痛いほどに愛していたい。

私は、愛せていましたか?

最愛の人との別れは、大きな傷となって深く深く身体中に染み渡る。

あんなに大きな愛があったはずなのに、気づいた時にはもう手遅れだ。

あなたは、私を本気で愛していましたか?

そう問いたくても、聞ける相手はもう居ない。

でも、私が聞くべきことは実はそんなことじゃない。

私は、あの人を本気で愛していましたか?

私たちが別れを経験する時。

愛されていたことを確かめる必要はない。

大事なのは、自分が愛せていたのか、だ。

愛すること。

人を愛するとは、一体なんだろう。

「好きだ」と思ったら、愛なのか?

「愛している」と思ったら、愛なのか?

「本気だ」と感じたら、愛なのか?

そんなものは、言語化も数値化もできない。

でも、私たちは愛を何らかの形で計ろうとする。

それは愛したいからではない。

愛されたいから。

誰かと恋をし、お付き合いをする。

そしていつか、別れを経験する。

その時抱くのは、情けないことに「愛していたか」ではない。

「愛されていたか」なのだ。

愛するよりも愛されたい。

人間はどこまでも欲深い生き物だ。

「愛されるよりも、愛したいの。」なんて自ら公言している人が、相手のことを本当に愛せているはずはない。

私たちは誰よりも自分のことを愛していて、誰よりも愛されたいと願っている。

誰もが愛されたい。

そう願って当然だ。

だって、人間だから。

「愛すること」が意味するもの

私たちは、別に愛したくないわけではない。

愛されたいし、愛したい。

本当は双方向に矢印が向いている恋愛を望んでいる。

にもかかわらず、いざ恋愛をすると「愛されたい」が勝ってしまう。

それは、愛することが怖いと知っているから。

誰かを愛することは、いつかの別れを意味する。

誰かを愛することは、「裏切り」の可能性を示唆する。

誰かを愛することで、自分が一番ではなくなる。

愛すれば愛するほど、恐怖は募っていく。

だから私たちは「愛したい」を捨てる。

手元に残るのは、「愛されたい」だけになってしまう。

恐怖を伴う愛情。

残念なことに、生きている以上は私たちの中から不安や恐怖が完全に消えてくれることはない。

いつまで経っても恐怖心と戦いながら生きていくしか道はない。

「愛」もそうだ。

愛し愛されることには、恐怖が伴っている。

恋愛なんて楽しいものじゃない。

恋愛は、恐ろしいものだ。

恐ろしいほどの愛に溺れた時に、初めて。

私たちは「本物の愛に出会えた」と喜びを感じることもできる。

恐怖と歓喜が混じり合った感情。

それこそが、本物の愛だ。

愛されるほどに歓喜した。

愛するほどに恐怖は強くなった。

終わった時にそう感じる恋は、きっと美しい時間だったのだろう。

ぼんちゃ
ぼんちゃ
人生について思考することが大好きな20代ウーマン。 モットーは「素直に生きる」こと。 Daria Meでは、人生やメンタリティに関する記事をメインに書いています。

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