2019.07.03
私の中のシーソーは、止まることを知らない。
右に揺れたと思ったら、一瞬の隙に左へと移動している。
自分の心がどこにいるのかすら、把握しきれない。
私の心は、自分で思っているよりもずっと後ろに居たり。時にはずっと前に進んでいたり。
行ったり来たり。右へ左へ。
私にも、分からない。
ずっと揺れているのは疲れてしまう。
だから私は、シーソーの真ん中に居たい。
そう思っても、簡単に止まってくれるものではない。
左に進みすぎて、そのまま落ちそうになる。
右に流されて、濁流に飲み込まれてしまう。
ちょうどいいところで止まっていられたら、私の心は乱されないのに。
穏やかな日々を過ごすことができるのに。
揺れることを拒み、真ん中で止まることを望んでいる私。
でも本当は、止まることなんて望んでいないのかもしれない。
穏やかで居られたら、幸せなの?
揺れ動いていたら、不幸なの?
今の私って、本当に不幸なの?
私はこのままで居てもいいんじゃないの?
だって、私は私でしょう?
私の心は、誰のものでもないでしょう?
シーソーの真ん中に居る人は、幸せそうに見える。
心穏やかに、落ち着いた日々を過ごしているんだろう。
そんな生活に憧れることもある。
じゃあ、私もシーソーの真ん中を目指せばいい?
ううん、きっと違う。
もしシーソーの真ん中で止まっていられる人生になったとしても、私にとっての幸せはそこにはない。
真ん中で止まっているの?
それって楽しくなくない?
これが私の本音。
シーソーは、真ん中にあっても楽しくない。
揺れ動くからこそ楽しい。
どんな動きがあるのか、予測できないからこそ面白い。
揺れたらバランスを取ろうと必死になるから面白い。
自分の思う方向に動かそうとするのに、動かないから面白い。
きっと人生も同じだ。
毎日がずっと同じように進んでいたら、つまらないでしょう?
ただ繰り返される日々には飽き飽きとしてしまうでしょう?
登場人物がずっと同じだったら、刺激が足りないでしょう?
全部が思うように行く人生だったら、面白くないでしょう?
私はわがままだから。
平穏を願いながらも、実は左へ右へと次々に移り変わる人生に期待をしている。
揺れ動くシーソーにこそ惹かれる。
そんな毎日を過ごしている中で、私が作られていく。
私は、私の中のシーソーが揺さぶられ続ける人生を生きていく。
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