2019.06.24
止まらない。
止めることができない。
私は今、怒っている。
何かにこの怒りを、やるせない気持ちを、ぶつけたい。
怒っていたら、当然人は不思議に思う。心配もするし、嫌な気持ちにもなるだろう。
だから「どうして怒っているの?」って聞かれるのも当たり前。
でも、それが分からないんだ。
自分でも分からない時がある。
そして怒りは、より一層大きなものへとなっていく。
わがままだよね。ごめんね。
怒りは、二次感情。
怒りの底にあるのは、「悲しみ」とか「苦しみ」とか「不安」とか、そういう負の感情。
それをどう表現していいか分からなくて、私は怒ってしまう。
本当はいつも不安で不安で、不安で。
どこにいても何をしていても、私の不安が消えることはない。
そしてその不安とずっと一緒にいるのがとても苦しい。
だから「怒り」にすることで逃げているのかもしれない。
私の怒りは、私に残された逃げ道だったのかもしれない。
「怒る」って、悪いことだと思われている。
私もそう思う。他人が怒っている姿を見ると、苦しくなる。
だからなおさら、自分が怒ってしまうことに対して嫌悪感がある。
でも、怒りが湧いてくる時、私は苦しんでいるんだ。
そんな気持ちを「怒り」に込めて発散しようとしているんだ。
怒りは私が苦しんでいるサイン。
自分に向けた「助けて」のサイン。
未だに私は、しょっちゅう怒っている。
何で怒っているのかも分からないのに、怒っている。
もう全部壊してしまいたくて、壊れてしまえと願って、怒り散らすこともある。
そして、怒りと向き合うようになって時間が経ち、そんな自分を客観的に見れる自分も出てきた。
あ、今の私は寂しいんだな。
今の私は、怖いんだな。
私は不安だから、怒っているんだな。
冷静に自分を見つめることができている自分が誕生した。
そして私は、そんな自分に素直になることにした。
怒っている。でも、怒っているんじゃない。
本当は、不安なんです。
そうやって素直な自分の感情を認めるようになった。
怒りと向き合うのは、難しいことだ。
怒りたくなんてない。でも素直になれない。素直な自分の感情が分からない。
思えば思うほどに、怒りが溜まっていくこともある。
決して簡単なことじゃないけれど、向き合わなければ自分の怒りに殺されてしまう。
怒りによって、余計に苦しみを抱えてしまうことになってしまう。
だから私は、怒りと向き合い続ける。
怒れるほどにはまだ残っている私の感情と向き合う。
そうやって生きているうちに、怒りが小さく消えていくから。
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素直な自分が分からなくて。ごめんなさい。