2019.06.09
苦しい時。
今にも倒れそうな時。
潰れそうな時。
「大丈夫?」と声をかけてくれる人がいる。
家族、恋人、友人、同僚。
相手にとっては、たまたま気になっただけかもしれない。
特に深い意味はないかもしれない。
それとも、私がよほど辛そうだからかもしれない。
真意は分からないけれど、私は「大丈夫?」と聞かれた時に、必ずこう答えていた。
本当は、全然大丈夫じゃないくせに。
私がなぜ「大丈夫じゃない」と言えなかったのか。
それは、「大丈夫じゃない私」には何の価値もないと思っていたから。
人は私に、「出来る」を求めている。
人は私に、「失敗しない」を求めている。
人は私に、「しっかりしている」を求めている。
そう信じていたから、いつでも大丈夫を演じていた。
本当は大丈夫じゃないこと、気づかれていたかもしれない。
でも、私は隠そうとした。
大丈夫な自分を演じていた理由なんて、いくらでも後づけできる。
「大丈夫だと思っていたから」って言うことも。
「まだまだやれると思っていたから」って言うことも。
本音は違う。
ただ、無価値な自分になるのがとても怖かった。
人から嫌われるのがとても怖かった。
「何でそんなことも出来ないの?」と批判されるのが怖かった。
「助けて」の声を無視されたらと考えると、怖かった。
怖くて、「助けて」が言えなかっただけ。
人に対して「助けて」が言えるようになった私は、この世界に随分と生きやすさを感じるようになった。
そう叫んだら、「どうしたの?」と聴いてくれる人がいた。
「何が辛いの?」と踏み込んでくれる人がいた。
時に傷つくこともあったけれど、優しい人の優しさに気付くことができた。
自分の中で壁を作っていたら、優しい人の存在にすら気付けない。
自分はただ一人だ、って勝手に思って、ただ苦しくなるだけ。
この世界には、思っていた以上に優しさがあった。
「大丈夫?」への返答は、「大丈夫。」だけじゃない。
「大丈夫じゃない。」と言っても、大丈夫。
私は、「大丈夫じゃない。」と言う。
代わりに、人の「大丈夫じゃない。」も受け入れられるようになった。
ありがちな言葉、って笑われるかもしれないけれど。
人は、支えられながら、支えながら生きている。
誰かに頼ったなら、「ありがとう」の気持ちをお返しすればいい。
また他の誰かを助けられるように、声をかけてみればいい。
きっとそうやって、「優しい」が循環していくから。
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久保佳奈子
この世界に、「優しい」を循環させよう。