2019.05.30
あー生きづらい。
なんか知らんけど、生きづらい。
毎日が苦しい。
日常が楽しくない。
いつも閉塞感がある。
幼い頃、「生きること」に疑問を抱くことなんてなかったのに。
私、いつからこんなに生きづらくなったんだろう。
このまま一生生きづらいんだろうか。
私のこの「生きづらさ」は、どこからやって来たのだろうか。
私には、プライドがある。
プライド全てを否定するわけじゃない。
負けず嫌いは時に人を動かす力になるし、絶対に譲れないことやものだってあってもいい。
でも、私が持っているプライドって、きっとそういう素敵な作用をもたらすものじゃない。
私の持っているプライドは、私の「生きる」を邪魔している。
プライドがあるから、動けない。
プライドがあるから、「こんなことは自分がやるべきじゃない」なんて偉そうなことを思う。
プライドがあるから、人に対する尊敬とか素直な気持ちを持てない。
私はいつの間にか要らぬプライドを持って生きるようになっていた。
私には、羞恥心がある。
人にバカにされたら、恥ずかしい。
何かを失敗したら、恥ずかしい。
無知であることを知られたら、恥ずかしい。
この羞恥心も、私の「生きる」を邪魔している。
羞恥心があるから、やりたいことをセーブする。
羞恥心があるから、挑戦しない。
羞恥心があるから、「発言」ができない。
私はいつの間にか要らぬ羞恥心を携えて生きるようになっていた。
私には、強い不安感がある。
人間誰しも、不安な気持ちは抱えているものだ。
というか、不安がなかったら平気でライオンに触ろうとして、きっと食べられて死んでしまう。
でも、私の持っている不安感は私の「生きる」を邪魔するほどに大きい。
上手くいかなかったらどうしよう。
失敗したらどうしよう。
無駄になったらどうしよう。
誰かに攻撃されたら、嫌われたら。
「どうしよう」ばかりで、「どうしたい」が消えていく。
不安はより大きな不安を呼ぶ。
そうして私は、要らぬ不安と共にただ震えて生きるようになっていた。
小さい頃、まだ何も分からなくて。
自分の考えとか、気持ちとか、表現する方法も知らなくて。
言葉も今ほどは知らなかった。
そうして考えると、私は今、もう大人になっている。
大人になって、無駄に頭が良いフリをするようになっている。
ああ、そうだ。
私はもっと、「バカ」になればいいんだ。
根っからのバカになるわけじゃない。
自分で望んで、バカになるんだ。
「バカになっている人」って、きっと怖いものも知っている。
プライドも、羞恥心も、不安も、全部知っている。
身をもって感じた上で、捨てたんだろう。
だって、生きるためには邪魔だから。
バカになった方が、生きやすいから。
だから「バカをやっている人」って、キラキラして見えるんだろうな。
私がまだ捨てられないものたちを、もう手放して輝いているように見えるんだろうな。
私はまだ、バカになりきれていない。
成り損ないのバカ。
でも、私はこうして気付くことができている。
全部捨てようとしている。
そのために、毎日生きている。
だから、いつかの私は、きっとバカになっている。
バカをしながら、生きやすい世界を実現している。
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久保佳奈子
バカって、最強だよね。