2019.04.12
4年前に、体調を崩した。
心の病気で倒れた。
今も病院通いは続けているし、薬だって飲み続けている。
つい最近のこと。調子が悪い日に、ふと気づいたことがあった。
「私、まるで病人みたい。」って寝込みながら自分で言ったの。
そして、気づいた。
私は、今も普通に、「病人である」ことに。
自分の辿ってきた道を、振り返って考えてみた。
そういえば、私はまだ大学1年生だったあの頃、自分が病気になるとは微塵も思っていなかった。
自分のことを紹介する時に、「不安障害なんです」っていう一文がつくことはなかった。
私にもそんな時代があったなあって、なんだか懐かしむかのように思ってしまった。
病気を認められずに、抵抗した時期もあった。
でも、病気と争うことはもうやめた。
それから私は、「早く治そう」とだけ誓って生きてきた。
そして私は次第に、患者である自分に慣れていった。
患者である私は、無理をしてはいけない。
病気が悪化するようなことはしてはいけない。
どんなにやる気にみなぎっていても、躁状態に突入したら活動しすぎてはいけない。
いきなり無理して急行列車に乗ってはいけない。
大人数の場に無理して行ってはいけない。
いけない。いけない。いけない。
患者の私は、いけないことだらけだ。
いけないのか。いけなくないのか。
いや違う。
私は、私であることを放棄して、患者である私しか見ていなかった。
私は、ただの私であることを、忘れてしまっていた。
患者であるか、否か、ではない。
私であるか、否か。
そうやって生きればいいんだった。
この4年間。
私の命は、温存され続けてきた。
生きるために、温存していた。
無理をしないために、温存していた。
違う。
私は、命を温存するために生きているわけじゃない。
命を使うために、生きている。
私の命は、もうとっくに温まっている。
私の命は、誰のもの?
私を産んでくれたお母さん?
私を大切にしてくれる恋人?
私を雇ってくれる会社さん?
いいえ。
私の命は、私のもの。
だからこそ、私は自分が生きることに、責任を持つ。
責任なんてもう持ちたくないと思ってる。
でも、私の命だけは。
誰にも取られたくないから、私が責任を取るわ。
そして私は、自分の命に精一杯の敬意を払い、自分の愛で優しく包み込みながら。
大切に、されど時には荒削りをしながら、生きていく。
今でしょ。
今はもう、二度とやって来ないから。
人に話せない悩みも、今まで居場所がないと悩んでいたことも全て、ここでなら話せる。自分が一歩を踏み出せば、世界が変わる。今辛い自分は、明日には笑えるかな?そんなあなたへ。待ってるね。
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久保佳奈子
私の命は、温存するためにあるわけじゃない。