2019.03.11
私は完璧主義的な側面が多い人間。
持ち歩く荷物は綺麗に整理整頓されていないと気が済まない。
バッグの中の小物は、全部ジップロックに小分けして入っている。
考え方の部分もそう。
全部がきっちり完了しないと落ち着かない。
「きちんと」終わるまで、やる。
中途半端が許せない。
全部を完璧にこなしたい。
たとえどんなに頑張っても、完璧には到達できないと、分かっていても。
あれもやりたい。
これもやりたい。
全部徹底したい。
全部完璧がいい。
そうやって生きてきた私は、次第に苦しみを覚えるようになった。
「生きづらい」と感じることがどんどん増えていった。
どうしてここまでしか出来ないの?
もっとやらないと「完璧」にならないよ?
だからもっとやろう?
全部完璧な形にしよう?
そんな問いかけは、自分にするだけにとどまらず、他人にも同じものを求めるようになっていった。
そして、決まってこう言われるようになった。
いきなり完璧になんて出来るわけないよ。
とりあえず、で考えようよ。
やっているうちに軌道修正しよう。
ちょっとずつ調整して、良くしていこう。
分かってます。知っています。
全部、自分が一番よく分かってる。
私は完璧を求めすぎる傾向があることも、いきなり完璧は作れないことも、全部分かっている。
急激な完璧を求めた結果、そのあと突然倒れてしまうことも、全部分かっている。
分かっているけど、私は完璧にしたいの。
それが私の中に染み付いたやり方なの。
そして、完璧を求めれば求めるほど。生きづらいと感じることが増えていくのも分かっていた。
だから私は、完璧主義を捨てようとした。
もっと気楽に、適当に。
とりあえずの精神を大切に、楽観的に生きてみよう。
そんなの無理だって思いながら。
でも自分を変えるのは、自分しか居ないからと、言い聞かせて。
完璧主義な自分を、殺した。
殺そうとした自分は、随分としぶとくて、今も結局平気な顔して生きている。
お前に楽観的な考え方なんて向いてないよ
所詮そんなの、無理。諦めな。
冷たく私に、そう言い放つ。
それでも私は殺すことに必死だった。
ある時、カウンセラーさんにこう言われる、その時まで。
もうずっと自分の中の完璧さんを殺すことしか考えていなかったので、メリットを聞かれてもすぐには思いつかなかった。
そのあとしばらく考え込んで、思いついたもの。
正直、これらが正しかろうが間違っていようが、どっちでもいい。
完璧主義にも良いところはあるんだって、そう思えるようになったから、もうそれだけでいい。
自分を必要以上に否定していた私は、自分に傷つけられ、毎日のように刺されて苦しんでいた。
今はもう、全部を否定することをやめた。
ありのままの自分にも、自信を持とう。
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完璧主義を否定してたけど、肯定できるようになった私のお話。