2019.03.07

理解できなくても、寄り添うことはできる。

ぼんちゃ

ぼんちゃ

あなたへの、お手紙です。

彷徨い続けた私の魂


生きるのは、毎日が「辛い」の繰り返し。

私はもう生きるのが嫌になった。

明日には死んでいたい

毎日そう願って、一応生きていた。

身体はこの世に置きながら、彷徨い続けた私の魂。

あの頃、私ははじめて、精神的な死を経験した。

精神的な「死」という表現が、どこまで他の人に響くかは分からない。

でも、私はこうして「辛いんだ」を綴るようになってから、

沢山の人に「分かるよ」をもらった。

そして私は、この世界に戻ってきたのです。

私の魂は、彷徨い続けて、この世に居場所を見つけました。

「分かるよ」のひとこと

私はあの頃辛かった

こうやって自分の「辛い」を定義づけて、自分の病気をさらけ出して、語るようになってから。

自分と似た境遇・経験がある人と巡り会える機会が増えた。

そんな人に「分かるよ」って言ってもらえるようになることがとても増えた。

昔の私は、自分の「辛い」を外に見せることが一切出来なかったから。

自分が他人に見せていないものに、共感してくれる人なんて居るわけないからね。

あなたたちの「分かるよ」の言葉に、どれだけ救われたか分かりません。

理解してくれる「あなた」へ


きっと今、この記事を読んでくれている方の中にも、「あなた」が居るでしょう。

そんな「あなた」へ。

あなたへ。

私の辛さや痛みに「分かる」と共感してくれるあなた。

あなたのその気持ちに、わたしは救われるのです。

私もあなたに寄り添いたい。

でも私には、あなたの痛みの全てなんて、到底理解できません。

あなたにも、私の全ては、絶対に理解できない。

でも私たちは、想像し考えることができる。

そして、自分の経験や感じ方をもとに、私はあなたの痛みを、あなたは私の痛みを、想像し考える。

それから、お互いの痛みに共感しあう。

自分だけの痛みだったはずのものを分かちあうことができる。

だから私は、時に自分の経験が愛おしいと感じます。

私は経験の中にも生きているのだと感じるのです。

私たちは、想像し考えることができる「人間」だから、お互いの痛みに寄り添うことができる。

痛みを理解は出来なくても、寄り添える。

寄り添って、支えあいながら、なんとか立つこともできる。

私はあの頃、精神的な死の世界に居た。

でも、今。

私はあの頃の自分を、肯定できるようになりました。

少しだけ。

あなたの痛みと分かち合えたから。

あなたの生きる姿は、私をも生かしてくれるのです。

いつもありがとう。

信じて歩こう。


私たちは、考える生き物。

想像する生き物。

一緒に生きていく生き物。

辛くて、彷徨って、行き場を失っても、

この世に生を受けた以上、必ず居られる場所がある。

そう信じて、一緒に歩いてみよう?

私と、たくさんのあなたと。

みんな、一緒に。

ぼんちゃ
ぼんちゃ
人生について思考することが大好きな20代ウーマン。 モットーは「素直に生きる」こと。 Daria Meでは、人生やメンタリティに関する記事をメインに書いています。

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