2019.03.05

どうせ生きるなら

「幸せになろう」と告げて、不幸のぬるま湯から出た。

ぼんちゃ

ぼんちゃ

不幸は、幸せになるための大切な基準だよ。

不幸自慢の私

今日はこんなことがあってね。

とってもしんどかった。
こんなに辛かった。

私って、不幸でしょ?

可哀想でしょう?

「可哀想な私」を、見て?

かつての私も、実は幸せだった。

可哀想な人間だから、需要があるんだ。

不幸にしているから、人がこっちを見てくれるんだ。

忙しそうにしているから、「大変だねえ」って、言ってもらえるんだ。

私は、不幸で可哀想で大変で、それでも生きてる〜って姿をしてるから、需要があるんだ。

可哀想じゃない私には、きっと需要なんてない。

かつての私は、そう信じていた。

そして不幸な自分を演じていた。

もしかしたら、私が本当に不幸だったことなんて、全くないのかもしれない。

だって、「不幸」も「幸福」も、自分で判断するものでしょう?

私は自分の全てを不幸だと決めつけていた。

そこにはきっと、沢山の幸せがあったのに。

私はあの頃だって、幸せだったはずなのに。

幸せになったら…?

幸せになったら、自分は一体どうなるんだろう。

あの頃の私は、多分、怖かった。

幸せになることが怖くて、怖くて、たまらなかった。

だから「不幸な自分」を演じていた。

不幸の中に居れば、不幸なままでいいから。
幸せになる必要がないから。

現状を維持するためには、努力が必要って言われるじゃない?

幸せなんて、努力なくして保たれるわけないじゃない?

不幸を保つのって、きっと簡単だから。

だから私は、不幸のぬるま湯に浸かっていたの。

かつての私は「幸せになりたい」と言いながら、心の底から幸せになることを願ってはいなかったのかもしれない。

きっと、自ら不幸になっていた。

でも、もう。

私は不幸な自分からは、足を洗った。

幸せになろう。

そう決めて、進むことにした。

幸せで居られるための努力をすることにした。

不幸も、幸せも、大切に。

そりゃもちろん、幸せに生きていこうって決めたからって、いきなり全部が幸せになるわけじゃない。

そもそも幸せを感じるのだって、不幸って状態があるからだよね。

幸せと不幸を相対的に比較して、その中で「今は幸せ」って感じられるんだから。

だから私は、日々の中で感じる不幸も大切にする。

不幸だなって感じたことがあったら、「どうしてかな?」って考えてみる。

その不幸が幸せに変わるには、「どうしたらいいかな?」って考える。

不幸は幸せになるための大切な基準だ。

不幸なくして幸せづくしの、ただのハッピー野郎には、私はなれないから。

だからこそ、不幸を大切に。

その先で生まれた幸せは、もっともっと。

手の中で大切に、包み込んで、温めて、守っていく。

ぼんちゃ
ぼんちゃ
人生について思考することが大好きな20代ウーマン。 モットーは「素直に生きる」こと。 Daria Meでは、人生やメンタリティに関する記事をメインに書いています。

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