2019.03.02

私は、精神疾患の当事者です。

ぼんちゃ

ぼんちゃ

これが、ある一人の精神疾患患者の姿です。

私は精神疾患と共に生きている。

私は、精神疾患を持病に持っている。

最初の診断名は「不安障害」。

大学生だった頃に、聞いたこともなかった診断名を下された。

結局その後、うつ病も併発状態だと告げられて。

現在は、診断名で言うならば、躁うつ病。
解離性障害の兆候もあるので、抑える薬を処方されている。

慢性的に過敏性腸症候群も持っている。
パニック症状・過呼吸も、私にとっては日常茶飯事。

こうして言葉にしてみると、私は辛くて可哀想でしょう?

そう、私は、辛くて可哀想な人間。

そう思ってた。
自分はどうしてこんな風に苦しいの?って。

今でもそんな瞬間はやって来る。

それでも、私は生きている。

私は、精神疾患と共に生きている。

自分を隠さない。

私は自分の病気を隠さない。

隠さずに言うようになったのは、元はと言えば、自分の為だった。

精神科で初めての診断を受けたことがきっかけ。

完璧主義的で、人に自分の弱さを見せることが出来ずにこれまで生きてきたんだね。

臨床心理士さんにそう言われた。

自分では意識していなかったけれど、私は確かに完璧主義者のそれに当てはまった。
弱みを人に知られるのが嫌いだったし、きっと怖かった。

そんな自分を変えていかないと、私はずっと苦しいままだ。

そう思って、自分にとって最大の弱みだと感じた「不安障害」をあえて人に話すようになった。

良い反応ばかりだったわけではない。
「言わなきゃよかった」と思ったことも数え切れないほどある。

それでも私は、病気がきっかけとなって、自分の弱みをさらけ出せるようになった。

当事者として、「言う」こと。

精神疾患の当事者の中には、「他人に言えない」と悩んでいる人も多い。

それは自分起点の場合もあるけれど、多くは世間体を踏まえた上で「言えない」の人が多いように感じる。

言ったら、仕事に支障をきたすから、言えない。

言ったら、再就職が難しくなるから、言えない。

家族に迷惑をかけるから、自分も言えない。

友人が居なくなりそうで怖いから、言えない。

世間の目が怖くて、「言えない」。
そんな人に、たくさん出会った。

その気持ちは痛いほどによく分かる。

私はこうやって「言う」ことを選択しているけれど、

「言う」ことで、家族が変な目で見られたりしないかな。

「言う」ことで、仕事がなくなったりしないかな。

と心が折れそうになることも多い。

それでも、私は言う。
私は幸いにも家族の理解も得られているし、最低限の「言える」状況に身を置いている人間だ。

だから私は、「言う」。
当事者の立場から、「言う」。

言える人、言えない人。

私は「言う」を選択できる状況に置かれた人間だ。

「言えない」人が居るのも、分かる。
気持ちの面でも、個々の置かれた状況でも。

「言える」人間がやるべきことはなんなのか。

それはきっと、ただ「言う」だけがゴールではない。

「言った」あとに何をするか。
結局全て、ここに集約されるんだろう。

「精神疾患って、こんな病気があるんですよ。」

「辛いんです、苦しいんです、心の風邪ではなく、心のガンなんです。」

「死にたい気持ちを理解してほしいんです。」

そう、これは全部事実。
きっと当事者が言わなければ理解すら得られないこと。

その先。
この先で何をするか。

私は、「この先」を作っていくことに、自分の今を賭けている。

それでいい。
私は、当事者として生きていくと決めたから。

まずは「言う」。言って、動いて、解決する。

今もこうして文字による発信をしていると、ふと思うことがある。

私って、精神疾患の当事者なんだなあ。

自分ではあまり自覚がない。
「精神科に通っている」という言葉に対するイメージも、なんだか自分とは遠いことのように感じる。

でも私は事実、精神科に通院しているし、抗不安剤も抗うつ剤も服用している。
まぎれもなく、「精神疾患当事者」だ。

きっと私は、世間の精神疾患に対するイメージと、逆を進んでいる。

それでいい。

これが、精神疾患当事者の、ある一人の姿です。

好きなだけ、見てください。

ぼんちゃ
ぼんちゃ
人生について思考することが大好きな20代ウーマン。 モットーは「素直に生きる」こと。 Daria Meでは、人生やメンタリティに関する記事をメインに書いています。

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