2019.02.05

点と点は線になり、その線はやがて「傷」あるいは「橋」となる。

ぼんちゃ

ぼんちゃ

繋がった点を、「傷」にするのも「橋」にするのも、私次第。私は「橋」という線にしたい。

私の「点」

私は生まれてから、今日に至るまで。

一体いくつの「点」を、残して来たのでしょうか。

そんなもの、数えたことすらないけれど。
きっと数えることができるような数字には収まらないくらい。

私は沢山の「点」を置きながら、生きてきた。

果たして、「点」とは、何でしょうか。

シミとしての「点」

私の点の中には、シミになってしまったものもある。

シミという名の「汚点」や「忘れたい過去」として、残ってしまったものもある。

とても頑固な汚れで、どんなにシミ抜きをしても消えることはない。

そういうシミほど、何度も私の心を抉ってくる。

でも、そのシミが私にとって綺麗な点に変化を遂げることも、同頻度くらいで起こるの。

シミになったからこそ、広がることが出来たものもある。
広がってしまったからこそ、見えた世界がある。

シミという名の「点」は、私に汚点と新しい世界の、両方をもたらしてくれる。

爪痕としての「点」

私の点の中には、爪痕になってしまったものもある。

何とかして、記憶に残りたい。

どうにかして、痛みを感じさせてやりたい。

一矢を報いてやりたい。

そんな思いでつけてしまった、私の汚い爪の、爪痕。

でも、所詮爪痕だから。

数時間も経てば、消えてくれる。

あの頃つけてしまった爪痕は、もう消えているはず。

ああ、爪痕が消えてくれるもので良かった。

でも誰かの心に残ってしまった私の汚い爪痕は、きっと何処かにまだあるだろうから。
私はこれから、それを綺麗な爪痕に、変えていく。

点と点が繋がった時

ありふれた表現。

点と点は、繋がって、線になる。

とても綺麗な表現で、私は大好き。

大好きだけれど、この言葉には、「どんな線を描いていく」のかが、含まれていない。

私がもたらした線は、どんな線?

今その線たちは、何を描いている?

「傷」としての「線」

私の点の中には、繋がった結果、「傷」になってしまった線もある。

傷になって、誰かの心を深く刺してしまったこともあると思う。

自分自身を引っ掻くような傷を作ってしまったこともある。

私が「傷」としての「線」を作らないことは、きっと無理だ。

私は人間だから。
万能ではないから。

きっとまた、線が傷になってしまうこともある。

でもそんな線を作ることは、出来る限り、避けたい。

「橋」としての「線」

私の点の中には、繋がった結果、「橋」になった線もある。

橋になって、自分が渡ることが出来た。

誰かと誰かを繋ぐことも出来た。

そんな「橋」が出来た時、私はとても嬉しい。

自分の点が線になって、「橋」になる。

私はこの瞬間に沢山出会いたい。

点を作って、線にする。

これからも、私は沢山の「点」を、世界のあらゆる場所に置いていく。

太陽のような存在として、光を放てるような。
そんな「点」を、たくさん残したい。

そしてその「点」は、いずれ「線」になる。

その線を、太く太く、強いものにしていく。

いつか、誰かにとって、渡りやすい「橋」となるように。

ぼんちゃ
ぼんちゃ
人生について思考することが大好きな20代ウーマン。 モットーは「素直に生きる」こと。 Daria Meでは、人生やメンタリティに関する記事をメインに書いています。

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