2019.01.05

どうせ生きるなら

私たちには、いつだって帰る場所がある。

あーやん。

あーやん

年始、久しぶりに実家に帰った。何もないと感じる日々でも「いつだって帰る場所があったんだ」

孤独には、もう慣れた。

今まで一人でいることが多かった。

孤独にも慣れてきたと思っていた。

中学時代も結局友達と呼べるような子はいなかったし、高校の友達とは疎遠になっていたし、卒業後は精神的に病んでいたので彼氏とほぼ隠居したような生活で、休日に遊びに行くような友達はいなかった。

だから、仕事が忙しくなった今も周りに友達がいなくてもそんなに気にならなかった。

信頼できる友達が一人いればいいと思っていた。

そう、別に寂しくなんてないと思ってた。

彼氏がいなくても、友達がいなくても、私には仕事がある。

そんなこと言い聞かせながら、はたから見たら寂しい生活を送っていた。

でも、本当は全然孤独になんて慣れていなくて、きっと心のどこかで寂しさとか不安を抱えていたんだと思う。

誰に話したらいいかわからないこの気持ちも。

どこにぶつければいいかわからないこの感情も。

全部全部、本当は誰かと共有したかったんだと思う。

周りにたくさんの人がいるだけで、自然と幸せになれるという言葉は信じていなかった。

でも、事実、そうなんだと思う。

帰る家がある

孤独に慣れたと思っていた私が錯覚だと気づいたのは、年が明けて実家に帰った時だった。

父、母、姉、おじいちゃんと、おばあちゃん。

家族全員の顔を見た。

みんなが大きなテーブルを囲んで座っていて、私のために真ん中の席を空けておいてくれた。

そこに腰掛けて思った。

「あぁ、私寂しかったんだ」って。

孤独で孤独で仕方なかったんだって。

仕事に対する不安とか、人間関係の不安とか、プライベートの不安とか、そんなものが全て消え去っていった感覚があった。

その瞬間、目が熱くなった。

「あ、涙が流れる」と思い、席を立って見えないバスルームに逃げた。

声を押し殺しながら止まらなくなる涙をタオルで押さえつけて、どんどん濡れていくタオルに顔を埋めた。

自分で自分にも隠していた気持ちが溢れて止まらなくなった。

私には帰る家がある。

そう思えた瞬間、私は幸せでたまらなくなった。

誰のために生きているのか

安心したんだと思う。

家族の顔を見て。

みんなが笑っている姿を見て、幸せでしかたなかったんだと思う。

「あぁ、私この人たちのために頑張ってるんだ。」

「いま、仕事をしているのは自分のためだけじゃない。家族がずっと笑顔で過ごせるように頑張ってるんだ。」

そう思ったら、また今年も頑張れるような気がした。

母が産んでくれたこの体で何ができるのか考えた。

父は誰のために必死に働いてくれていたのか考えた。

姉が強く当たりながらも言い聞かせてくれていた言葉は誰のためだったのか考えた。

全て私のためだった。

そんな風に私も家族のために生きていきたいと本気で思えた。

この家族の笑顔をずっと守るために働くんだって。

どんなに孤独を感じたって、未来が不安になったって、家族はずっと笑って見守ってくれている。

私たちには帰る家がある。

帰る場所がある。

それだけでどんなに幸せだろう。

人はすぐ一人で生きている気になる。

でも違うんだ。

一人で生きれる人なんていない。

誰のために生きているのか。

誰のおかげで生きているのか。

どうせ生きるなら、自分以外の誰かのためにも生きてみたい。

あーやん。
あーやん
株式会社DariaMe代表|21歳 元精神疾患 バイセクシャル 『生きるという当たり前に真剣に向き合います』

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