2018.12.28

どうせ生きるなら

生きてる心地がしなかった

ぼんちゃ

ぼんちゃ

存在していても、心が生きていないと、人は生きていないんだ。

声を失いたい

何かを話すのが、怖い。
誰かと話すのが、怖い。
いっそのこと、声が出なくなってしまえばいいのに。
そうしたら、喋る必要もなくなる。
誰にも責められなくて済む。

声を、失いたい。

正当化する為の手段

人と会うのが怖かったり、人と話すのが怖かったり。
人の目を見るのが怖かったり。

そういう自分がとても情けなくて、不甲斐なくて。
恥ずかしくて、隠れていたくて、でもずっとそういう訳にもいかなかった。

だから、そんな自分を正当化する為の理由が欲しかった。

自分を正当化する為に、自分の大切な大切な「喋る」という手段がなくなってしまえばいいと本気で願っていた。

あの頃の私は、まるで生きていなかった。
自分自身も、生きている心地がしていなかった。

喋ることができる幸せ

今考えれば分かる。

自分が話をできるということが、どれだけ幸せなことなのか。
自分の口から自分の思いを伝えられることがどれだけ幸せなことなのか。

人間が物事を伝える手段は、「喋る」ことに限定されていない。
こうやって文字を起こすことも、一つの手段。

でも、「話をできる」というのは、自分の体を使って、直接的に自分を表現できる手段だ。
声色・トーンによって、伝わる印象も変わる。

元々喋ることが大好きだった私。
にも関わらず、そんな手段を捨てたいと思っていた。

あの頃は、生きていなかったから。

心が死んだら、生きていない

あの頃の私も、この世に存在はしていた。
確実に日々を生きていた。

でも、心が死んでいた。

心が死んでいることは、「死んでいる」状態とニアイコールだ。

心が生きていないと、自分は居なくなってしまう。
ただこの世を彷徨うだけの、自分ですら見えない存在になってしまう。

貴方の心は生きていますか?

今、貴方の心は、この世に居ますか?
自分で自分を見失っていませんか?

毎日はせわしなく過ぎていく。
スピードが早いことを求められることも多い。

でも、何よりも大切なのは、「心が生きていること」。

貴方の心が、笑っていること。
貴方の心が、泣けること。
貴方の心が、喜べること。

そんな瞬間は、最近あったかな?

少し立ち止まって、振り返ってみて。

自分の心を、見てあげて。

ぼんちゃ
ぼんちゃ
人生について思考することが大好きな20代ウーマン。 モットーは「素直に生きる」こと。 Daria Meでは、人生やメンタリティに関する記事をメインに書いています。

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