2018.12.11
全国のメンヘラ読者の皆さま、こんにちは。
今日も世界は明るいようで、暗いようで。
私たちの元に降り注ぐ光も、まばらですね。
今回は、私が提唱する一説
「メンヘラと天才は紙一重説」について、徹底検証していきます。
いきなりですが、質問です。
メンヘラは、バカなのでしょうか。
メンヘラにも、様々な定義づけがあるので、一概に明言することは難しいでしょう。
一言で全てのメンヘラを一括りにすることはできません。
しかし、メンヘラの多くは、
と思うようなことまで不安に感じたり、意識を張り巡らせています。
上記を踏まえて検討いたしますと、
メンヘラには感受性豊かな人間が多い
という1つの仮説が生じます。
以下に私が考えるメンヘラの特徴を挙げます。
それ故に、相手に過度に干渉したり、人のテリトリーに踏み込んでしまったりするのでしょう。
それが特に大切な人・身近な人に向けられやすいため、彼氏や彼女といった恋愛関係の相手に対して、メンヘラを発揮しがちなのです。
ここで、例を1つ挙げてみます。
メンヘラの代名詞とも言える、「ポエム」。
ポエムが生まれるのも、メンヘラが故とも言えます。
そもそも感受性が乏しい人間に、ポエムを生み出すことは難しいでしょう。
つまり、メンヘラには、自己表現できる人間が多いのです。
また、他人の作品から「作り手の意図」を汲み取る力にも長けていると言えるでしょう。
前述したように、メンヘラは他人の感情に対して敏感です。
それは、アーティストに対しても同様のことが言えます。
例えば、素敵な歌を聴いた時。
「彼はどこで何を想って書いたのだろう?」
「この歌は誰に向けて歌ったの?」
「この歌詞に隠されている本当のメッセージは?」
例えば、素敵な写真を見た時。
「この写真は、貴方から見える何を映したの?」
「なぜこの角度・構図を選んだの?」
「なぜこの一枚を選んだの?」
極論「スゴイ、ヤバイ」の一言で済ませることができる事柄に対して、これだけの視点で疑問と興味を抱くのです。
「Daria Me」の空間も、まさしくその一つ。
メンヘラによるライティングは、ひとつの世界観を作り出しています。
自分が疑問と興味を抱いたことに対して、メンヘラはどのようにアクションを起こすと思いますか?
そう。
徹底的に追求するんです。
これは、メンヘラによるネトスト力を参考にしていただければお分かりいただけるでしょう。
追求すると何が起こるか。
もうお分りでしょう?
のめり込むんです。
自分が興味を持ったら、逃がさない。
気がすむまで追いかける。
結果的に、のめり込む。
ここで、この記事のタイトルに立ち戻りましょう。
メンヘラについては記述してきたので、次は天才について。
天才は元から天才である人は少ない、というのはよく言われる話ですよね。
「自身が天才であることは肯定できないが、努力の天才ではあると思う」というある方の発言もあります。
多くの「天才」と言われる人々は、並々ならぬ努力を重ねています。
その努力が実り、結果にだけフォーカスされる為、簡単に「天才」という一言に集約して表現されてしまうのでしょう。
先ほど、メンヘラの追求心について触れましたよね。
この追求心こそが、メンヘラを天才にしうる原動力なのです。
一つの対象に執着し、徹底的に調査し、追求する。
これこそが、一般的に「努力」とされるものなのです。
天才と同様に、メンヘラにも努力家が多いのです。
メンヘラも天才も、間違いなく努力をしている。
自分の人生に対して、真摯に向き合っている。
故に、私は「メンヘラと天才は紙一重」であると考えています。
メンヘラは、天才になり得る。
その原動力は確実に持ち合わせている。
あとは、その矢印をどこに向けるか次第です。
全国のメンヘラの皆さま。
貴方の天才ライフを、最高に楽しんでください。
※この記事は全てライター自身の思考の元、執筆しております。
全メンヘラに当てはまることではないという点を踏まえて、お読みいただけますと幸いです。
人に話せない悩みも、今まで居場所がないと悩んでいたことも全て、ここでなら話せる。自分が一歩を踏み出せば、世界が変わる。今辛い自分は、明日には笑えるかな?そんなあなたへ。待ってるね。
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