2018.08.18

実は私、『躁鬱病』だったんです。

Ayano

Ayano

興奮する状態(躁状態)と気分が沈む状態(鬱状態)とが、代わる代わる起こること。双極性障害とも呼ばれます。

躁鬱病とは

精神病の一種で、興奮する状態(躁状態)と気分が沈む状態(鬱状態)とが、代わる代わる起こること。双極性障害とも呼ばれる。

気分の変動が激しく、感情がとにかく高頻度で入れ替わる。

私の場合、辛いことがあって泣き出したと思ったら急に笑いが止まらなくなるほど気分が上がって楽しくなってしまったりする。

他にも、友人との会話がうまくできない時があったり、とにかくお金使いが荒い日があったり、一日中怒りっぽい日もある。

1人で居られずにすぐどこかに出かけたり、誰とでもすぐ仲良くなるの。

躁鬱病の人は、人当たりがよかったり、常に笑顔だったり、見た目も華やかだったり、頭の回転が早かったりするので、一見気づかれないの。

私は仕事では一切発症しないので、仕事上関わっている人には気づかれたことがない。

特に気づかれるとしたら、彼氏や本当に仲の良い友人や家族のみ。

他に気づかれることは一切ない。

なので、私の場合は生活に特に支障はない。

躁鬱6年目です

躁鬱病って大体20代後半~30代の人が発症しやすいと言われているのだけれど、私は15歳の時に1人で病院に行った際に言われた。

びっくりした。

むしろ「双極性障害」なんて聞いたことない言葉だったから焦りました。

頭の中は真っ白だったし、「躁鬱病のことだよ」って言われた時に、それって鬱病ってことだよね?って思いました。

確かに毎日死にたくて寝付けなくなったり、朝が来るのがとても怖かったり、生きてることはずっと辛かったけど、それは夜中だけで。

日中はいつも楽しいと思ってた。

でも、そんなことなかったんだって思ってしまって、またさらに辛くなった。

ずっと何かに追われているような感覚になった。

初めてもらった薬の量に驚いて、これがないと精神が安定しないと思うのも辛かった。

本当に辛かった時期

本当に辛かった時期は、全然立ち直れなくって、状況を受け止めることすらできなかった。

「それでも私は生きていかなきゃいけないのかな。」とか、

「薬飲んでまで生きていたいのかな。」とか、

「この先に待っているものは闇なんじゃないか。」ってずっとキツかった。

正直親にも話せなかったし、誰にも言えなかった。

私のメンタルを安定させる手段は、薬でしかない。

そんな悲しい現実を15歳の私は受け止められなかったの。

学校のみんなにバレたらどうしよう。

また嫌われるかな。また距離を置かれるかな。

頭の中はそんな感情でいっぱいだった。

理解されない、生きることの難しさ

私にとって生きていくということは他の人より困難だった。

今も困難です。

いつになったら楽になれる?とか、

いつになったらこの生活が終わるの?とか、

今でも毎晩死にたいと思う。

こんなに毎日が楽しくて、色々な未来が待っているというのに。

習慣化してしまったからか、今でも悩む。

この悩みを理解してくれなかった元カレは、

「死のうとするくせに結局死なないし、死ぬ気ないじゃん」って笑ってきた。

正直、こんなもんだよなって思う。

理解されないよなって。

こっちがどんなに追い込まれていても、辛くても、相手からしたら「結局死なない奴」としか思われてない。

地獄だと思った。

私が生きる理由。生きることとは。

どうせ生きるなら、笑ってたい。

そう思ってるよ、ずっと。難しいけどね。

なんでこんなに難しいんだろうって思う。

「一旦生きよう。」

「どうせいつか死ぬし、とりあえず今生きておこう。」

そう思うと少し楽になった。

でも、やっぱり抱える病気は重くって。

いつ再発するんだろうって悩んだりもする。

「これ、再発してるな」思う瞬間が多すぎて、いつになったら解放されるの?って疑問ばかり。

何度も言うけど決して楽しくないわけじゃない。

むしろ楽しいことで溢れかえってる。

だから今は平気。

むしろ今は仕事が生きがいで1日のほとんどが仕事だから有意義な時間を過ごせてる。

でも、これがなくなったら?

生き甲斐がなくなったら?

怖くてたまらない。

でも、どうせ生きるなら笑っていたいから。

どうせ生きるなら楽しみたいから。

どうせ生きるなら幸せになりたいから。

今、私は生きている。

Ayano
Ayano
株式会社DariaMe代表|22歳 バイセクシャル 『生きるという当たり前に真剣に向き合います』

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