2018.08.03
学校という組織の中には小さな箱がたくさんあって、そこに振り分けられて私たちは教室という箱に詰め込まれた。
運動会でちゃんと戦えるように運動能力を見極め、合唱コンクールなどの行事でリーダーシップを取れる人材を見極め、頭脳に差が出ないようにそれぞれを振り分けてクラスという小さな組織にみんな自分の意思ではなく他人の意思で属した。
12歳の私はそんなことに気づいちゃって、すごく嫌な気持ちになった。
中学一年生の春。
教室の前に立って生徒に挨拶する教師。同じ制服に同じ丈のスカートを履いた生徒たち。
教室には机と椅子が綺麗に並んでいて、綺麗な黒板には「入学おめでとうございます」の文字。
地獄を見た気がした。
「井の中の蛙大海を知らず」とはこういうことなのかと。
ここで始まる生活はどんなことが待っているのか、ワクワクした気持ちと「地獄を見た」という絶望感を抱え教室に足を踏み入れた。
ここで生き残れたら社会でも生き残れる?協調性ということを覚えたら社会でも生き残れる?
きっと違う。
ここで色恋したら楽しい?ここでどうやって色恋するの?
全然良さがわからない。
みんな同じ制服、みんな同じ体操着、みんな同じジャージ。ロッカーも教科書もノートもみんな一緒。受ける授業も、歌う音楽も、体育で走る距離だって、みんな一緒。
何が面白いの?
道徳の時間ではみんなの価値観を統一しようとするくせに、今社会で起きている問題について意見が出てこないと怒ったり。
みんなの価値観を統一させようとしたのそっちでしょ?
そりゃ意見が出てこなくて当たり前だと思います。
流されやすい性格の若者が増えたのは、過半数の意見を正当化する世の中を作り上げた大人たちのせいでしょ?
進学する高校が偏るのも当たり前。
将来の夢が似てくるのも当たり前。
全部、あなたたちがそうさせた。
全然学校の良さがわからなかった。
だから行かなかった。私にとって学校はとても受け入れ難い場所だった。
白ソックスも、長ったらしいスカートを脱ぎ捨てて、ワイシャツも引き裂いてやっと解放された時、私はとても自由を手に入れた気分になった。
女子中学生というブランドを脱ぎ捨てて、次は女子高生というブランドを身につけて生きる。
また同じことの繰り返し。
でも、自由がこの上なく幸せだった。
壊れそうで壊れない、崩れそうで崩れない。溢れそうで溢れない、空っぽなようで空っぽじゃない。
そんな日々が終わり、私は自分を手に入れた。
人に話せない悩みも、今まで居場所がないと悩んでいたことも全て、ここでなら話せる。自分が一歩を踏み出せば、世界が変わる。今辛い自分は、明日には笑えるかな?そんなあなたへ。待ってるね。
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